日本海海戦は連合艦隊の圧倒的な大勝利に終わり、ロシアのバルチック艦隊は壊滅しましたが、実はロシアは戦争継続を決して諦めてはいませんでした。ネボガトフ少将が日本海で降伏旗を掲げた翌々日の5月30日、ロシアは宮廷での軍事会議において戦争の続行を決定します。ロシアの皇帝ニコライ二世は、バルチック艦隊は全滅したものの、満洲の陸上戦においては戦況を逆転させることができると考えていたからです。そして、ロシア本国から精鋭部隊30万を満洲に派遣し、反撃態勢を整えるよう計画していたのです。
しかし、日本海海戦に大勝利した日本には、もはや戦争を継続するだけの兵力も財力もありませんでした。そこで、日本海海戦の勝利を受けて、その6日後となる6月1日、日本政府は米国のルーズベルト大統領に日露講和の斡旋(あっせん)を依頼します。ルーズベルト大統領は、日本の意図をよく承知しており、すぐに講和斡旋に動き出します。まずは、ニコライ二世とは従兄弟で年長者であるドイツ皇帝ウィルヘルム二世に親書を送り、ロシア皇帝ニコライ二世を説得してもらうことにしました。また、ロシアの同盟国であるフランスも、これ以上ロシアが弱体化すれば、仮想敵国であるドイツを利することになると危惧し、ニコライ二世に講和に応じるように勧告します。こうしてニコライ二世は渋々講和会議の開催を承諾することになったのです。そして、6月3日、ルーズベルト大統領からニコライ二世が講和会議の開催を承諾したという知らせが日本政府にも伝えられたのです。