1905年1月1日、旅順要塞司令官であるステッセル中将は第三軍司令官・乃木希典大将に旅順開城を申し出て、翌2日にはロシア軍降伏軍使のレイス参謀長が随員と共に水師営に到着します。そして、第三軍参謀長の伊地知幸助(いぢちこうすけ)少将との間で旅順開城規約が調印され、戦闘が停止されました。乃木大将の希望で「水師営の会見」が行われたのは、それから3日後の1月5日でした。
この日、ステッセル中将が参謀長のレイス大佐らと共に会見場の水師営の農家に到着したのは、午前10時30分でした。乃木大将は「昨日の敵は今日の友」として、ステッセル中将を迎えます。会見は終始和やかな雰囲気の中で行われ、両将軍は双方の軍の勇戦を讃え合いました。この会見の情景を歌人の佐々木信綱が作詞し、唱歌「水師営の会見」として歌い継がれましたが、その中には「我はたたえつかの防備 かれは称えつわが武勇」という歌詞もあります。