大東亜戦争終結80年という節目の時を迎えて、すべての日本人に問いたいこと、そして、伝えたいことがあります。
命をかけて日本を守ってくれた人たちがいたことを、あなたは知っていますか。私たちが平和に暮らせることを願って命を捧げられた人たちがいたことを、あなたは知っていますか。
私たち日本人は戦後、歪(ゆが)められた歴史教育によって変容させられてしまいました。そして、国家のために殉じた人たちを敬い、尊い命を捧げられた人たちに感謝するという、極めて当たり前の人としての心を失ってしまったのです。
愛する国のため、愛する家族のため、そして、祖国が永遠に平和であるために、先人が尊い生命を捧げてくれたことを私たちは決して忘れてはなりません。先人が国家と国民のために戦ってくれたおかげで今日の日本があるのです。だからこそ、日本という美しい国に生まれ、生かされている私たちには、歴史の真実を正しく学び、それを次の世代へと伝えていく使命があるのです。
「自国の歴史を失った民族は滅びの運命にある」と言われます。自国の歴史とは何か、それは自国の歴史の真実に他なりません。真実から目を背け、真実を求めることをやめ、真実を軽んじるようになれば、人も国家もその生命は生気を失い、やがては滅びへと向かうようになります。私たち日本国民が、私たちの祖国日本を滅びの運命から救い出し、愛する日本国を復活させることのできる唯一の道は、歴史の真実を知ることなのです。
私たちは偽りの歴史ではなく、ありのままの歴史の真実を知り、私たちの祖国の歴史を取り戻さなければなりません。私たち日本人は戦後80年、自国の歴史の真実を知らされることなく、その真実に代わって作り出された別の歴史を教え込まれました。そして、80年という歳月が流れる中で、その別の歴史こそが歴史の真実であると思い込んできたのです。80年前、私たちは自国の歴史を失いました。そして、その時以来、日本民族は滅びの運命にあるのです。
戦後80年を迎える今、私たちは滅びの運命にある私たちの祖国日本を救うために歴史の真実を取り戻さなければなりません。では、どのようにすれば歴史の真実を取り戻すことができるのでしょうか。それは、なぜ、今から80年前、日本はあのような戦争を始めなければならなかったのか、その原因について知ることから始まります。
では、どのようにすれば、大東亜戦争の原因を知ることができるのでしょうか。日本国がなぜ戦争を始めなければならなかったのか、その原因を知るためにはどうしたらよいのでしょうか。それを知ることのできる確実な方法が一つあります。それは、当時の日本国民が、あるいは政府や軍部がどのような理由で戦争に踏み切ったのかを知ることです。さらに言えば、そのような国情を誰よりもご存知であった天皇陛下御自身が、大東亜戦争の開戦に至った経緯をどのように思われていたかを知ることなのです。
大東亜戦争終結80年の節目に当たって、私たち日本人があの戦争の真実に出会うためにどうしても知っておかなければならないこと、それは、大東亜戦争の開戦に際して、天皇陛下の御名によって公布された「開戦の詔書(しょうしょ)」について知ることです。
1941年(昭和16年)12月8日に公布された「開戦の詔書」には、日本国がいかなる理由で米国及び英国に対して宣戦布告することになったのか、そして、この戦争の目的がどのようなものであったのか、その真実が記されているのです。私たち日本人が大東亜戦争の真実に出会うためには、何よりも天皇陛下の御名によって公布された「開戦の詔書」に記された一つ一つの言葉にこそ、心を向け、耳を傾けなければならないのです。そこに歴史の真実の声があるからです。
そして、「開戦の詔書」について学んだ先に、私たちがしなければならないことは、当時の日本人の心の声を聞くことであり、当時の軍部や政府首脳の心からの訴えに耳を傾けることなのです。今日まで封印されてきた当時の日本人の声が私たちの心に届くことがない限り、当時の指導者たちの苦悶と葛藤の叫びが私たちの心に響くことがない限り、あの戦争の真実は決して見えてこないと思うからです。
「歴史家が過去の人々の行為の背後にある思想を理解できなければ、歴史を書くことはできない」と言われます。まさに過去の時代に生きた人々の行為を支えていた思想を知ることなしに、私たちは決して歴史の真実に辿り着くことができないのです。
今からでも決して遅くはありません。私たちは歴史の真実を見つける旅に出なければならないのです。かつての日本人の心に寄り添い、当時の為政者の苦悩を謙虚に受け止め、あの戦争を始めた軍部の悲壮な覚悟と決意がどこから来たものなのか、その心情に真摯に向き合わなければならないのです。そのことなしに、大東亜戦争を総括することはできませんし、そのような謙虚な心と真摯な姿勢なくして、私たちは歴史の真実に出会うことはできないのです。
さらに、私たちが見落としてしまっている大切なことがあります。それは、大東亜戦争についての歴代首相の談話にも散見される「反省」という言葉の意味についてです。例えば、戦後50年談話を発表された村山富市首相は、その談話の中で次のように述べています。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥(おとしい)れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」
村山首相は戦後50年談話において、「疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切なる反省の意を表し」と述べていますが、そもそも「反省」とは、自らの行為を省みて、自分の過去の行為について考察し、悪いことをしたとはっきりと認めることです。
つまり、過去の戦争について「反省」することができるのは、あの戦争に関わった人だけであり、戦争と何ら関わりのない人が反省するということは、本来的にはおかしいことなのです。西ドイツのワイツゼッカー大統領が敗戦40年となる1985年に行った有名な演説があります。それは「荒れ野の40年」と題される演説でしたが、ワイツゼッカー大統領はその中で、次のような言葉を述べています。
「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。・・・今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。」
戦後80年の歳月を経て、今日の日本国民が自らが関わってもいない戦争について反省することはできないのであり、自らが手を下していない行為について自らの罪を告白することもできないのです。
さらに国際法の観点から見ても、日本国ならびに日本国民が先の大戦について反省したり、謝罪したりする必要は全くないのです。なぜなら、いかなる戦争であっても講和条約や平和条約が締結されれば、それですべてが終わるからです。敗戦国が謝罪し続けたり、いつまでも反省を強いられたり、責任問題を外交に持ち出されたりすることは歴史上、一度たりともないからです。日本はサンフランシスコ講和条約、日華平和条約、日韓基本条約、日中平和友好条約を締結し、また、東南アジア諸国への賠償協定を結び、大東亜戦争において戦場となり、あるいは併合した国とはすべて国際法的には決着をつけているのです。
それでは、私たち日本人には反省すべきことはないのでしょうか。実は、私たちにはどうしても反省しなければならないことが一つだけあるのです。それは、今を生きる私たちが関わり続けていることであり、日本人一人ひとりが自らの行為として省み、自分の過去の行為として、悪いことをしたとはっきりと認めなければならないことなのです。それは、大東亜戦争の真実を知ろうとしなかったことです。そして、あの戦争で日本国のために、私たち日本国民のために、水漬(みず)く屍(かばね)、草生(くさむ)す屍、雲散る屍となって散華(さんげ)された御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表してこなかったことなのです。
私たちは今こそ、歴史の真実を謙虚に受け止め、心からの「反省」の意を表明しなければならないのです。
あなたは知っていますか、私たちのために戦った人たちのこと。
あなたは聞こえますか、私たちを守ってくれた人たちの声。
あなたはわかりますか、私たちのために戦った人たちの思い。
大東亜戦争終結80年を迎えた今、私たちは日本の真実の歴史を取り戻さなければなりません。自国の歴史を失い、滅びの運命にある日本国と日本民族を、今こそ死の淵から救い出し、復活させなければならないのです。