2026年1月4日日曜日

第81回:大東亜戦争の真実(29)

 韓国併合により、日本は朝鮮からありとあらゆる資源を収奪し、特に「金・銀・タングステン・石炭など産業に必要な地下資源を略奪した」(韓国の歴史教科書)と教えられていますが、実際に、当時の朝鮮半島にはそもそも大した資源はなかったのです。例えば、「金・銀・タングステン」などの地下資源については、その採掘のために膨大な資金が日本の会社から投資されました。しかし、結果的には大赤字であり、日本は資源を収奪するどころか、反対に、朝鮮の近代化のために莫大な資金をつぎ込み、鉱山開発と産業の育成、さらには人材の養成に心血を注いだというのが実際のところだったのです。

 また、1950年代には「資本主義萌芽論」と呼ばれる理論が北朝鮮で提唱されるようになりました。これは、李氏朝鮮時代から存在していた資本主義の萌芽が日本の統治時代に破壊され、その結果として近代化が阻害されたというものです。しかし、これは事実ではありません。その後の実証的な研究によれば、李氏朝鮮時代末期の国内経済はほぼ崩壊状態にあり、資本主義萌芽論は全く根拠のない幻想であるというのが定説となっています。さらに言えば、資本主義萌芽論は「論理ではなく日本国を弾劾(だんがい)することが目的」の虚構であり、「韓国人が彼らの歴史の中で、資本主義萌芽を捜そうと努力することは、オレンジの木からリンゴを求めるようなものだ」とさえ言われているのです。

 そもそも日本は朝鮮を植民地にしたのではありません。欧米諸国の植民地政策のように植民地から資源を収奪し、自国製品を売り付け、あるいは植民地の住民を安い労働力として奴隷のように酷使し、とにかく自国の利潤だけを追求するような一方的な圧政をしたのではないのです。1906年、日本の保護下にあった大韓帝国が初めて公式に国家予算を算出しますが、その総額は748万円でした。ところが、朝鮮半島の近代化を促進するためには、どう試算しても年間3000万円が必要でした。しかし、朝鮮には自力で近代化を達成できるような財力はなく、日本が財政的に支援する他に道がなかったのです。そこで、日本政府は第三次日韓協約の締結後、1907年より毎年2000万円から3000万円の財政支援をしますが、その額は日本の国家予算のおよそ10%に相当する莫大なものだったのです。

 現代の韓国では、日本が韓国を保護国としたことが植民地支配の始まりであると厳しく非難されていますが、保護国となったからこそ、日本から多額の財政支援を受けることができたのです。そして、日本の経済的援助があったからこそ、朝鮮半島は近代化を成し遂げることができたのです。1910年の韓国併合の後には、10年間にわたり朝鮮人の所得税は免除されましたが、その分を朝鮮半島在住の日本人が負担し続けたことも忘れてほしくない真実です。日本が朝鮮半島の近代化を実現するために投入した財政支援の総計は、現代の貨幣価値に換算すれば63兆円にもなると言われています。韓国併合時代は35年ですから、年間1兆8000億円が日本人の血税から朝鮮につぎ込まれたのであり、これは一日当たりおよそ49億円という計算になります。世界史における植民地支配において、このような政策が行われた例が他にあるでしょうか。日本にとって朝鮮は資源収奪のための植民地ではなく、日本と同じように近代化されるべき拓殖地(拓殖:未開の地を開拓し移住すること)だったのです。

 朝鮮半島は日本の本土防衛にとって極めて重要な地域でしたが、当時の朝鮮半島は日本の統治下にある諸地域の中で最も近代化が遅れていました。そこで、日本政府は多額の国家予算を投入し、それまで朝鮮半島には存在しなかった鉄道や道路などの交通網を整備し、さらに電力供給のための巨大ダムを建設しました。その他にも、上下水道を整備し、病院や学校をつくり、また、工場を建設し、港湾や橋梁(きょうりょう)などのインフラ整備も行いました。まさに、朝鮮半島を近代化するためのありとあらゆる施策を断行したのです。

 鉄道建設については、朝鮮半島全土に6000㎞にも及ぶ鉄道網を敷設(ふせつ)しました。半島全土に張り巡らされた鉄道幹線を完成するために日本が投資した額は、総額で6638万円(現在の価値ではおよそ6兆6000億円)であり、これらは日本国民の血税でした。また、総督府は朝鮮への観光客を誘致するために、朝鮮ホテルなどの近代的な西洋風ホテルを建設し、区画整理された京城(けいじょう)には路面電車を敷設しました。戦後、韓国は「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれるほどの国家の復興と高度経済成長を成し遂げますが、それらの基盤となる社会インフラのほとんどは朝鮮総督府によって整備されたものなのです。日本統治時代に日本から投入された資金によって朝鮮半島の近代化が実現したという事実だけは、声を大にして語らなければならないと思います。

 ところで、鉄道網や都市整備が進み、生活が豊かになると、必然的に電力の確保が重要になってきます。そこで、総督府は電力供給のための発電所の建設に着手しますが、その中で最も有名な巨大ダムの一つが、当時世界最大級の水豊(すいほう)ダムでした。実は、日本統治時代の朝鮮北部はまさに電力の宝庫でした。日本人は誰もが立ち入ることのない急峻な山地の奥深くに分け入り、鴨緑江(おうりょくこう)の支流となる赴戦江(ふせんこう)、長津江(ちょうしんこう)、虚川江(きょせんこう)などの大河に、次々と巨大ダムと水力発電所を建設します。そして、鴨緑江に70万kwを最大出力とする世界第2位の発電量を誇る水豊ダムを建設したのです。その規模はまさに桁外れなものでした。水豊ダムは70万kw、赴戦江ダムと長津江ダムは33万kw、虚川江ダムは34kwでしたが、当時の日本国内で出力が8万kwを越えるものは、信濃川(16.5万kw)、千手(せんじゅ:12万kw)、奥泉(おくせん:8.7万kw)、黒部川第3(8.1万kw)の4カ所だけでした。日本は自国にもないような巨大なダムと発電所を建設し、朝鮮半島の近代化と工業化のために莫大な資金(現在の価値でおよそ3兆円)と民間の有能な経営者や電気技師を惜しまず投入したのです。

 因みに、水豊ダムは高さ約106.4m、幅899.5m、総貯水容量116億で、東京芝浦電気(現在の東芝)製の発電機が7つ設置されていました。人造湖の表面積は琵琶湖の半分に相当する、まさに世界最大規模の巨大ダムだったのです。水豊ダムは朝鮮戦争の際、米軍によって空爆され、一時的には発電能力が減少しましたが、それでもダム本体は空爆によっても破壊されることなく、発電所は今もなお現役で稼働しています。そして、現在の北朝鮮の主力発電として80万kwの電力を供給し続けているのです。豊かな水をたたえ、電力源として現在も稼働し、北朝鮮に多大な利益をもたらし続けているのが、水豊ダムなのです。

 そのためか、金日成主席は北朝鮮に膨大な富と電力をもたらしている水豊ダムを北朝鮮の国章に描くように指示しました。また、このダムの北朝鮮側には金日成主席の肖像画が飾られ、山の斜面には金正恩総書記を讃える言葉が記されています。皮肉にも、北朝鮮は日本統治時代に残された最大の遺産とも言える水豊ダムを、まるで北朝鮮が建設した民族の偉業であるかのように喧伝(けんでん)し、国章や紙幣にまで水豊ダムを描いているのです。しかし、歴史の真実を知る北朝鮮の人民がどれほどいるのでしょうか。国章に描かれた民族の誇りである水豊ダムが、実は日本によって建設された「日帝支配の遺産」であることを知らされたなら、日本の統治時代が決して世界で最も過酷な圧政の時代ではなかったことを少しでも分かってもらえるのではないでしょうか。

 朝鮮半島に巨額の資金を投入し、朝鮮の近代化と経済発展のために貢献した日本が、朝鮮から資源を略奪したというのは真実なのでしょうか。例えば、アフリカ大陸の諸国は植民地時代が終わり、独立国となった今でも、貧困から脱け出すことができていません。では、植民地された国の中で近代的な経済発展を遂げた国はあるのでしょうか。それは韓国と台湾です。日本により統治された韓国と台湾だけが、戦後において目覚ましい経済発展を成し遂げたのです。日本の統治時代において、朝鮮半島と台湾における、鉄道、道路、上下水道、電気などの主要インフラ設備は日本国内と大差がありませんでしたし、その生活水準もそれほどの格差はなかったのです。これこそが日本の統治政策と欧米諸国の植民地経営との根本的な違いです。欧米諸国は植民地から一方的に搾取するだけでしたが、日本は朝鮮半島と台湾を近代化させるために、国民の血税を注ぎ込み、社会インフラの整備に尽力したのです。

 歴史に刻まれた一つ一つの真実は決して消し去ることはできず、あるいは葬り去ることもできず、いつまでも隠し続けることができるものでもありません。「七奪」ではなく、「七恩」であると弁明するつもりはありませんが、少なくとも日本が朝鮮半島のためにどれほどの貢献をしたのか、その歴史の真実にだけは真摯に向き合い、心を開いてほしいものです。韓国国民が捏造と虚偽にまみれた反日歴史教育の呪縛から救われなければならない時が、今まさに訪れているのです。