2025年2月2日日曜日

第36回:日本を新生復活させるための提言(5)

  天照大神は皇孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降臨される際に、三大神勅を授けられましたが、今回は三つ目の神勅である「斎庭(ゆにわ)の稲穂(いなほ)の神勅」についてお話ししたいと思います。

 『日本書紀』には次のように記されています。

「吾(あ)が高天原(たかまのはら)に所御(きこしめ)す斎庭の穂(いなほ)を以(も)て、亦(また)吾(あ)が児(みこ)に御(まか)せまつるべし。」

【現代語訳】
 私が高天原に作る神聖な田の稲穂をわが子に授けましょう。

 この神勅は、厳密に言えば、天照大神が瓊瓊杵尊を降臨させる前に、天降(あまくだ)ることを命じられていた天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に下されたものです。しかし、天照大神の子である天忍穂耳命が地上に降臨する準備をしている間に子が生まれたので、その子を代わりに降らせることにしたのです。その子が天照大神の孫になる瓊瓊杵尊でした。

 では、「斎庭の稲穂の神勅」の意義とはどのようなものなのでしょうか。「斎庭」とは、神を祭るために斎(い)み清めた場所のことであり、「斎庭の稲穂」とは天照大神がお祭りされた新嘗(しんじょう)の稲穂のことです。実は、天上世界である高天原では稲作が行われていたのです。天照大神は高天原の神聖な田で育った稲穂を地上に植えることにより、地上の国を高天原のような実り豊かな国にすることを願われ、瓊瓊杵尊に斎庭の稲穂を授けられたのです。

 つまり、斎庭の稲穂の神勅によれば、日本国中で植えられ、育てられるすべての稲はことごとく天照大神からの授かりものということになるのであり、さらに、地上で稲作に従事している民は、高天原の神聖な水田で稲作を行っているのと同じ立場にあると考えられてきたので、農民は大御宝(おおみたから)と呼ばれるようになったのです。

 古来、農事に関する祭事が重んじられてきたのは、それが「斎庭の稲穂の神勅」に基づくものだったからです。歴代天皇が御一代に一度の大嘗祭(だいじょうさい)を夜を徹して執り行われたのは、この神勅の精神を身をもって体現するためだったのです。そして、天皇は大嘗祭において、国家の安寧と国民の幸福、そして五穀豊穣を祈念されたのです。

 天皇は、春になれば「種もみまき」をされ、初夏には「御田植え」をされます。長靴を履いて泥田(どろた)に入られ、一株一株、心を込めて、手作業で植えられます。そして、秋になると鎌を使って、御手ずから植えられた百株の稲を収穫する「御稲刈り」をされるのです。このように農作業に勤(いそ)しまれる君主が世界のどこにいるでしょうか。日本人の主食となる稲穂を御自ら植えられ、収穫されるのは、それが天照大神からの大切な授かりものであるからなのです。

 地上にも高天原と同じ恩恵を与えるために神聖な田で育てられた稲穂を瓊瓊杵尊に託されたことは、日本人にとっての最初にして最大の祝福でもあったのです。戦後80年の時を経て、ほとんどの日本人が稲穂を授けられた恵みを忘れてしまい、斎庭の稲穂の神勅を思い出すこともなく生きている中で、ただお一人、言葉によってではなく、その行いによって何よりも大切な日本人に与えられた食の原点とはいかなるものなのかを見せて下さっていたのが、歴代の天皇であられたのです。

 天照大神は地上にある豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)を、その名の通り、瑞々しい稲穂の実る国とし、そこに住む国民を幸福にするために神勅を下さったのであり、私たちの生活に欠くことのできない食物を高天原にある田から分け与えられたのです。それが斎庭の稲穂でした。お米は生産性と滋養(じよう)に富んだ穀物の王様であるとも言われています。村上和雄博士(分子生物学者:1936-2021)は「世界のあらゆる食品の中で、最も理想的な作物」がお米であると述べています。

 日本中の至る所に稲穂が植えられ、夏になると水田は一面が緑の美しい絨毯(じゅうたん)のように彩られ、秋には頭(こうべ)を垂れて収穫を待つ黄金色の風景となり、私たちの眼前に広がります。それは、さながら高天原の光景そのものでもあるのです。日本人は稲作と共に生活してきました。稲作を行うことで働くことの喜びを感じ、四季の移り変わりの中で豊かな情緒を育んできたのです。これが日本人の心の原点でした。

 歴代天皇が御一代に一度の大嘗祭において、また、毎年の新嘗祭(にいなめさい)において、新穀を皇祖天照大神と天神地祇(てんしんちぎ)に供えられ、感謝の祈りを捧げられたのは、「斎庭の稲穂の神勅」を何よりも尊いものとして心の真ん中に置かれ、高天原の恩恵がこの地上においても無窮であることを願われたからでした。

 日本人は何よりも忘れてはならないもの、いつも心の真ん中において片時も忘れてはならないもの、日本人の心深くに隠されている宝物とも言えるものを見失ってしまったのではないでしょうか。それが、肇国の時に、天が授けて下さった三大神勅の精神だっのです。三大神勅の精神こそが、日本人が日本人であるために何よりも大切なものであり、日本が日本であるために絶対に欠いてはならないものなのです。この精神を取り戻すことだけが、日本が新生復活する唯一の道であると思います。

 もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕えるならば、主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ、また家畜のために野に草を生えさせられるであろう。あなたは飽きるほど食べることができるであろう。あなたがたは心が迷い、離れ去って、他の神々に仕え、それを拝むことのないよう、慎まなければならない。 (申命記 11章 13-16節)