2025年2月16日日曜日

第38回:日本を新生復活させるための提言(7)

 大東亜戦争の敗戦により日本は占領統治下において新たな国家建設を目指し、新生国家を支える「隅のかしら石」を日本国憲法の三大原則に求めました。その後、80年の歳月を積み重ねつつ、新生日本は戦前とは全く異なる民主主義国家として発展し、殊(こと)に経済的復興は目覚ましく、日本は世界の経済大国としての地位を確立しました。

 また、三大原則の一つである「平和主義」は日本を唯一の同盟国である米国の庇護(ひご)の下に置き、「平和はタダ」であるかのような錯覚を日本国民に抱かせ、日本人は総じて「平和ボケ」と言われる悲哀の中で、つぎはぎ細工であるかのような平和を享受してきたのです。

 しかし、戦後80年を迎えた今日、日本の平和は近隣諸国の無謀な脅威にさらされ、特に中国共産党政権は日本国にとって最大の敵国となり、侵略の意図を隠すこともせず、虎視眈々(こしたんたん)と領土の拡張を企(たくら)んでいます。それでもなお、日本国民は占領統治下で行われた洗脳教育から脱け出すことができず、日本国民は平和主義という美しい言葉に泥酔(でいすい)したまま、未だに深い眠りから覚醒することができないでいるのです。

 日本国憲法の三大原則を「隅のかしら石」として、戦後の日本は再建されたはずですが、もはや憲法の三大原則は今日の日本国を支えることができなくなっているのではないでしょうか。戦後80年の間に、国家は疲弊(ひへい)し、至る所にほころびが見えるようになり、日本国という家は傾きかけ、雨漏りが絶えないような有様になってしまったのです。

 では、このような日本に希望はないのでしょうか。傾き倒れつつある日本国を建て直し、崩壊しつつある国家を再建し、雨漏りする日本という家を修繕することはできないのでしょうか。それは、ある一つの歴史の真実を知ることから始まります。戦後の日本が日本国憲法の三大原則によって再建されようとする中で、ただ一人のお方だけが、戦後日本の再建は「肇国(ちょうこく)の精神」によってでしか成し得ないと固く信じておられたことを知っていますか。

 そのお方は日本国が歴史上かつてないほどの国難に見舞われている時、「肇国の精神」だけを心の内に抱いておられました。そして、「肇国の精神」という国家の生命の種を荒廃し切った日本の大地に蒔き、その蒔かれた種が必ず芽を出し、豊かな実を結ぶことを一心に願っておられたのです。

 そのお方は「肇国の精神」だけを身にまとう唯一の武具とし、その精神から発せられる言葉と、その精神を愛する誠だけを携えて、日本の命運を懸けたある会見に臨まれたのです。そのお方こそ、昭和天皇その人でありました。

 1945年9月27日、午前9時頃、東京都赤坂の米国大使公邸に一台の車が乗りつけられます。車を降りられた昭和天皇は館内へと案内され、奥にある執務室へと向かわれました。そこで、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥と初めて対面されたのです。ここから37分間の会見が行われたのですが、この会見が戦後の日本を再生復活させるための「隅のかしら石」となっていたことを、どれだけの人が知っているのでしょうか。

 昭和天皇は「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」の精神をもって会見に臨まれました。皇祖天照大神が授けて下さった「天壌無窮の神勅」は、天皇が天の大御心に従い、国家と国民の安寧を祈り続けるならば、皇室は天地と共に永遠に栄えることを約束したものでした。つまり、国体護持(こくたいごじ)は天の大御心においてのみ成されることを昭和天皇は確信しておられたのです。

 軍上層部の者たちが国体護持の確証を得るまでは決してポツダム宣言を受諾することができないと苦悩している時にも、昭和天皇だけは「天壌無窮の神勅」を唯一の拠り所として、国体は必ず守られると信じておられました。人によってではなく、神によってのみ国体は守られるという信仰こそが日本国の「隅のかしら石」となることを知っておられたからです。

 また、昭和天皇は「宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅」の精神をもって私利私欲を取り除き、ただひたすらに天の大御心に心を添わせ、我(が)を滅して、大御宝である国民の幸福を願われました。天皇御自身の生命を犠牲にしてまでも、大御宝である国民が救われることを切望されたのです。

 「戦争に関する一切の責任はこの私にあります。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても、いつでも応ずるだけの覚悟があります。」

 このお言葉によって日本国民は救われました。そして、このお言葉が日本国を再生復活させるための「隅のかしら石」となったのです。私たちは日本国憲法によって救われたのではありません。「肇国の精神」に基づいて昭和天皇が国民一人一人の幸せを祈られ、御自身の生命を贖(あがな)いの代価とされたことにより、私たちは救われたのです。

 そして、昭和天皇は「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」の御教えに従い、八千万の国民の食べるに食なき姿を案じておられました。天照大神が高天原(たかまのはら)にある神田の稲穂を授けられたのは、日本国を瑞穂(みずほ)の国として祝福されたからであり、私たちの生活に欠くことのできない食物を天からの恩恵として与えられるためでした。国民が飢えることがないようにというのが「斎庭の稲穂の神勅」の精神そのものだったのです。

 昭和天皇が皇室の全財産目録を持参されて、「私の命と皇室財産のすべてを差し出しますので、どうか、国民が飢えることがないよう、その衣食住をお守りくださいますよう、伏してお願い申し上げます」と懇願されたのは、「斎庭の稲穂の神勅」こそが国民生活を支える「隅のかしら石」であることをよくよく御存知であったからです。

 大東亜戦争の敗戦は日本国にとってかつてないほどの国難をもたらし、焦土と化した日本国はまさに瀕死の状態にありました。日本国民は食べることもままならない世界で最も貧しい民となりました。戦勝国は日本が再び立ち上がることができないように、ありとあらゆる制裁と処罰を与えようとしました。しかし、このような暗雲が立ち込める国家の行く末を明るく照らす希望の光となったものがあったのです。それが、昭和天皇による37分間の会見でした。あの37分間の会見により、日本は死の淵から救い出され、日本国民は貧民窟(ひんみんくつ)から贖い出されたのです。あの37分間がなければ、戦後の日本はもっと悲惨で、さらに惨めな運命をたどっていたに違いないのです。

 しかし、残念でならないことは、ほとんどの日本人があの37分間の奇跡を忘れてしまっているということです。日本の戦後復興の「隅のかしら石」とは、何だったのか。それは紛(まぎ)れもなく昭和天皇が「肇国の精神」に殉(じゅん)じて、その生命までも国家と国民のために捧げようとされたことにあったのです。この歴史の真実を忘れてしまい、置き去りにしてしまい、葬り去ってしまったところに、戦後日本が直面している本当の国難があることを、私たちは知らなければならないのです。

 ところが、戦後日本の再建を担わされた為政者たちは、昭和天皇が据えて下さった「隅のかしら石」をどこかに捨ててしまい、その代わりに占領軍によって与えられた日本国憲法を「隅のかしら石」にしてしまいました。国民主権により日本は新たな国家へと生まれ変わり、平和主義によって二度と戦争をすることのない国として再建され、基本的人権の尊重により国民は誰もが幸福になれると信じ込んでしまったのです。

 昭和天皇が据えられた「隅のかしら石」は捨てられてしまいました。そして、戦後の日本は憲法の三大原則を「隅のかしら石」として再建されたのです。しかし、そのようにして建てられた日本という家は、今や傾きかけており、倒れつつあり、崩れ落ちそうになっているということに、私たちは気づかなければならないのではないでしょうか。

 そして、真なる隅のかしら石が何であるのか、そのことに思いを致さなければならないのです。戦後日本を支えてきたのは、表面的には憲法の三大原則であるかのように見えるかもしれませんが、見えないところで日本国を支え、隠れたところで日本国民に命の息を吹き入れてきたのは、昭和天皇が決して忘れることのなかった「肇国の精神」でした。あの37分間の会見こそが、日本にとっての真の隅のかしら石なのです。戦後日本の復興に勤(いそ)しんだ為政者によって捨てられた石、日本国民によって忘れられてしまった石、それが昭和天皇による37分間の会見でした。

 戦後80年を迎え、また、昭和100年の節目ともなる今年、私たちは日本国と日本国民を支えている「肇国の精神」という「隅のかしら石」を再び取り戻さなければならないのです。大東亜戦争の敗北とその後の混乱の時代においても、昭和天皇だけは日本国がいかなる国であり、日本国民がいかなる民であるかを決してお忘れではありませんでした。日本国は肇国された国であり、三大神勅により祝福され、天の恩恵によって守られている国であり、その日本国は万世一系の天皇によって統(す)べ治められ、大御宝である国民と共に天壌無窮に栄えることが約束された国であることを、私たちはもう一度思い起こし、二度と忘れてはならないという決意と覚悟をもって、日本の新生復活のために歩み出さなければならないのです。

 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである。 (マタイによる福音書 7章 24-27節)