今から80年前、日本は大東亜戦争に敗戦することで、それまでとは全く異なる国家へと変貌してしまい、その時から新しくつくり変えられた日本の歩みが始まりました。学校教育ではそれまで使われていた教科書が黒く塗りつぶされ、戦前においては何よりも大切なこととして教えられてきたことは危険思想として排斥され、子供たちが知ってはならないものとされました。また、大人たちはそれらの教えに蓋をして、まるでなかったことであるかのように忘れ去ろうとしました。それは、まさに国難でした。日本は歴史上に一度たりともなかった異国による占領統治により、国家と国民の在り方を根底からつくり変えられてしまう革命的出来事を経験させられたのです。
およそ2600年の歴史を誇る世界最古の国である我が国日本は、歴史上初めて外国により占領統治され、GHQ(連合国最高司令官総司令部)による占領政策により新しい国づくりに邁進させられることになりました。日本は根こそぎ変質させられてしまったのです。そのような新日本建設に批判を加えることは許されず、決して抗(あらが)うことのできない占領統治の暗雲が日本国中を覆っていたのです。そのような中で新しい日本は産声を上げることになりました。
多くの日本人は戦後生まれたばかりの新しい日本をそのままに受け入れてしまいました。そして、今なお戦後80年を迎えても、今ある日本の姿をそのままに受け入れているのです。戦後80年続いた平和を享受し、経済的な復興を成し遂げ、戦争の焼け野原から完全に復活したと思い込んでいるのです。「もはや戦後ではない」という言葉は、日本人が戦後に生まれた新しい日本を受け入れ、その繁栄と復興を喜び、さらには誇らしく思ったことを表現したものでした。
では、このような新生日本を建設するための「隅のかしら石(Cornerstone)」となったものは何なのでしょうか。それがGHQにより草案され、半ば強制的に押し付けられたとも言える「日本国憲法」だったのです。そして、戦後日本の礎となったもの、それが日本国憲法の三大原則と言われるものなのです。つまり、「国民主権」、「平和主義」、「基本的人権の尊重」、という三大基本原則を「隅のかしら石」として建設されたのが今日の日本国なのです。
ところで、日本国憲法の三大原則を「隅のかしら石」として建設された新生日本は、果たして真の日本国の姿を体現したものなのでしょうか。憲法で規定された三大原則なるものが、日本国の永遠の繁栄と日本国民の絶対幸福を保障することができるのでしょうか。
その答えは「否(いな)」です。GHQの占領統治下において「マッカーサー草案」として与えられた日本国憲法の理念が、新生日本の「隅のかしら石」となっているとすれば、戦後の日本の建国精神は、GHQによって与えられた憲法理念であり、三大原則であるということになってしまうのです。
近代民主主義の基本原則として、国民主権や基本的人権の尊重が謳(うた)われ、あるいは二度の世界大戦を歴史の教訓として平和主義が掲げられることは、万国民の希望として尊重されるべきなのかもしれません。しかし、よくよく考えてみれば、これらの理念がどんなに素晴らしく、いかに美しいものであろうとも、所詮は人間の知恵により導き出されたものに過ぎないのです。
大東亜戦争の敗戦により、全土が焼け野原となり、まるで廃墟と化してしまった日本国を復興させ、新たな日本を建設することは並大抵のことではありませんでした。そして、新生日本を誕生させるための「隅のかしら石」を、当時の日本政府と日本国民はGHQから与えられた日本国憲法の中に求めたのです。その憲法理念は人類の英知の結晶だったのかもしれません。しかし、実はこの前提こそが大きな過ちであったことを私たち日本人は忘れてしまっているのではないでしょうか。
日本という国は人間の英知によって建国された国ではありません。人間の理想や願望を土台として建国された国ではないのです。日本という国は神代の昔から今日に至るまで、人間の知恵や能力をはるかに凌駕(りょうが)する偉大な力によって支えられ、守られ、導かれてきたのです。なぜなら、日本は建国された国ではなく、肇国(ちょうこく)された国であるからです。肇国の精神こそが、日本国の「隅のかしら石」なのです。
大東亜戦争の敗戦は、日本国の悠久の歴史における最大の国難でした。未曽有(みぞう)の国難を克服し、焦土となってしまった日本国を再建するためには、「肇国の精神」に立ち返るほかに道はなかったのです。しかし、時代がそれを許しませんでした。連合国による占領統治は苛烈(かれつ)を極め、日本国は深く傷つき、日本国民は自信と誇りを喪失してしまったのです。さらに言えば、日本国民は肇国の精神を奪われたのであり、その精神を語り継ぐことを許されなかったのであり、将来を担う青少年に教えることを禁止されてしまったのです。
まさに、新しい国家を建設するにおいて、新生日本という家を作るために、家造りらは「肇国の精神」という石を捨てるように強いられたのであり、あるいは、その石を災禍(さいか)をもたらすものとして廃棄しようとしたのです。そして、今なお、この石は捨てられたままになっているのです。
しかし、戦後80年を迎えた今、日本は新生復活しなければなりません。私たちは愛する祖国、日本を新生復活させなければならないのです。では、そのための「隅のかしら石」をどこで見出したらいいのでしょうか。
「家造りらの捨てた石が
隅のかしら石になった。
これは主がなされたことで、
わたしたちの目には不思議に見える」 (マタイによる福音書 21章 42節)
80年前に捨てられた石が、「隅のかしら石」となること、家造りらの捨てた石が隅のかしら石となること、これこそが歴史の趨勢(すうせい)であり、歴史の真実であり、天の願いなのではないでしょうか。捨てられた石となってしまった「肇国の精神」は、今も日本国を再建するための堅固な土台となるために、そして、決して崩れることもなく、誰にも壊されることもない「隅のかしら石」となるために、私たち日本人によって見つけ出されることを待ち望んでいるのです。
戦後80年の節目の年に、私たち日本人が何をなすべきなのか。それは、ただ一つ、「肇国の精神」に立ち返ることです。人類の英知から与えられた理念や理想によってではなく、神代の昔に天から与えられた「三大神勅」の精神に回帰することによってのみ、日本は真の意味で新生復活することができるのです。
わが子よ、わたしの教を忘れず、
わたしの戒めを心にとめよ。
そうすれば、これはあなたの日を長くし、
命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。
いつくしみと、まこととを捨ててはならない、
それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。
そうすれば、あなたは神と人との前に
恵みと、誉(ほまれ)とを得る。
心をつくして主に信頼せよ、
自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を見て賢いと思ってはならない、
主を恐れて、悪を離れよ。 (箴言 3章 1-7節)