2025年6月29日日曜日

第59回:大東亜戦争の真実(12)

 1904年2月10日、日本政府は「露国ニ対スル宣戦ノ詔勅」を交付し、日本はロシア帝国に対して正式に宣戦を布告しました。常備兵力において15倍、国家の歳入では8倍になる軍事強国ロシアに対して、日本政府は国運を賭けた一大決戦に臨むことになるのですが、当時の日本政府ならびに軍部はどのような国家戦略をもってロシアとの開戦という国家の一大事業に取り組んだのでしょうか。

 日本政府には明確な国家的戦略がありました。決して無謀で無計画な戦争をしたのではないのです。「敵を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず」とは、兵法の教えですが、日本政府や陸海軍の首脳は日本の国力を熟知していましたし、ロシアとの国力差も十分に理解していました。そのような状況の中で、いかにすれば日本が大国ロシアに勝利することができるのか、そのための緻密(ちみつ)な戦略を描いていたのです。

2025年6月22日日曜日

第58回:「沖縄慰霊の日」に心を寄り添わせるとは

 昭和20年(1945年)6月23日、この日は沖縄戦で第32軍を指揮した牛島満(うしじまみつる)大将が自決し、日本軍による組織的戦闘が終了した日とされています。この日を忘れないため、そして多くの戦没者を悼(いた)むため、6月23日は「沖縄慰霊の日」と定められました。慰霊の日は広島、長崎の「原爆の日」(8月6日、8月9日)や「終戦の日」(8月15日)と共に、上皇陛下が日本人としてどうしても記憶しておかなければならない「4つの日」として、慰霊を尽くされてきた特別な日なのです。

 最後の激戦地となった沖縄県糸満市(いとまんし)摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が営まれますが、天皇、皇后両陛下をはじめ皇室の方々も、この日には黙祷され、亡くなった方々への哀悼の誠を捧げられます。

2025年6月15日日曜日

第57回:大東亜戦争の真実(11)

 1904年2月6日、日本政府はロシア帝国との国交断絶を通告し、2月8日に帝国海軍は旅順港外においてロシア艦隊への先制攻撃を開始します。そして、2月10日、日本政府は「露国ニ対スル宣戦ノ詔勅(しょうちょく)」を公布し、ここに日露両国は本格的な交戦状態に入ることになったのです。「露国ニ対スル宣戦ノ詔勅」には、日露開戦に踏み切らざるを得なくなった理由が明確に述べられており、そこには明治天皇の開戦についての悲痛なご心情までもが表白されているのです。詔勅の全文の現代語訳は次のようなものです。

2025年6月8日日曜日

第56回:大東亜戦争の真実(10)

 日本は日清戦争の勝利によって中華思想に基づくアジアの国際秩序である「冊封体制」を崩壊に導くことができました。1895年4月17日、日清両国の間で締結された「日清講和条約」(下関条約)は、朝鮮国の独立を承認し、ここに清国と朝鮮との朝貢・冊封関係には終止符が打たれたのです。つまり、日清戦争の後、清国の対外関係は朝貢・冊封という関係ではなく、条約に基づく関係に一元化されることになったのです。それは、中華思想よりも近代国際法が優越するということでもありました。

 神の摂理的観点から見れば、中華思想という価値観が崩壊させられ、それに基づく国際秩序である冊封体制が終焉したことは、神の理想的世界秩序を構築するための基盤を造成する第一歩となりました。日本は自国の国益として、朝鮮が清国の支配から解放されて、独立国家となるために日清戦争を戦ったのですが、これは神の摂理から見れば、アジア諸国を束縛していた旧態依然とした華夷秩序を崩壊させるための「義戦」であったことを私たちは忘れてはならないのです。

2025年6月1日日曜日

第55回:フランシスコ教皇の大きな過ち

 4月21日、カトリック教会の最高指導者であるフランシスコ教皇が逝去されました。そして、5月8日(日本時間9日)に新たな教皇としてレオ14世が選出されました。カトリック教会は2000年にわたり、統一性と一貫性を維持しながら、世界中におよそ14億人の信者を擁するキリスト教最大の教派です。その最高指導者の立場である教皇の絶対的な地位と権威の源とは何なのでしょうか。それは、歴代の教皇が、聖ペテロ(初代教皇)の後継者という立場であり、さらにその権威がキリストの御言葉に基づいているということにあります。キリストはペテロに対して次のように語られました。

 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉(よみ)の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう。
 (マタイによる福音書 16章 18-19節)