1904年2月10日、日本政府は「露国ニ対スル宣戦ノ詔勅」を交付し、日本はロシア帝国に対して正式に宣戦を布告しました。常備兵力において15倍、国家の歳入では8倍になる軍事強国ロシアに対して、日本政府は国運を賭けた一大決戦に臨むことになるのですが、当時の日本政府ならびに軍部はどのような国家戦略をもってロシアとの開戦という国家の一大事業に取り組んだのでしょうか。
日本政府には明確な国家的戦略がありました。決して無謀で無計画な戦争をしたのではないのです。「敵を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず」とは、兵法の教えですが、日本政府や陸海軍の首脳は日本の国力を熟知していましたし、ロシアとの国力差も十分に理解していました。そのような状況の中で、いかにすれば日本が大国ロシアに勝利することができるのか、そのための緻密(ちみつ)な戦略を描いていたのです。