1905年2月21日から3月10日にかけて、日露戦争における最終的大会戦となる奉天会戦が行われました。日露両軍合わせておよそ60万人に及ぶ将兵が、18日間にわたり満州の荒野で激闘を繰り広げたのであり、これは世界史上でも稀に見る大規模会戦でした。日本陸軍は19個師団の総兵力24万9800名、対するロシア陸軍は30個師団半で36万7200名、戦力比は2対3とロシア軍が圧倒していました。
2月20日、大山巌(おおやまいわお)満州軍総司令官は各軍司令官と第三師団長を集め、奉天会戦の意義について、次のように訓示しました。
「近く目前に横たわる会戦においては、我はほとんど日本帝国軍の全力を挙げ、敵は満州に用い得べき最大の兵力と思わるる軍隊を引っさげ、もって勝敗を賭(と)せんとす。これ重要中の重要なる会戦にして、この会戦に勝を制したるものは、戦後の主人となるべく、実に日露戦争の関ヶ原というも不可なからん。故に吾人(ごじん)はこの会戦の結果をして全戦役(せんえき)の決勝となすごとく努めざるべからず。」