2025年12月21日日曜日

第79回:大東亜戦争の真実(28)

  日本統治時代に行われたとされる「七奪(しちだつ)」の一つとして、土地の収奪があります。例えば、韓国の歴史教科書には「土地調査事業によって不法に奪い取られた土地は全国土の40%にもなった」と書かれており、朝鮮総督府による土地調査事業の目的が全国的な土地の略奪にあったと教えられています。しかし、これは明らかな嘘です。日本政府と総督府は朝鮮人から土地を奪ったのではありません。むしろ、奴隷のように使われていた農民たちに土地を与えたというのが真実なのです。

 韓国併合後に総督府はすぐさま全国土地調査を行い、朝鮮半島全土の田畑の面積を入念に調べました。そして、実測の結果、全耕地面積は487万町歩(ちょうぶ)であることが判明したのです。ところが、総督府の土地調査が行われる以前は、納税台帳から全耕地面積は272万町歩とされていました。それは、脱税のために多くの土地が隠されていたからです。つまり、耕作地全体のおよそ45%が当時の支配階級である両班(やんばん:特権階級である貴族層のこと)らによって隠匿(いんとく)耕地とされていたのです。

 併合当時、朝鮮の土地制度や租税制度は全く機能していませんでした。両班はまるで暴君のようにほとんどの土地を支配し、しかも土地所有に関する文書の偽造が平然と行われるなど、全くの無法状態でした。さらに、朝鮮農民のほとんどは両班の農奴として酷使され、自分の土地を所有することは許されていませんでした。これが土地調査以前の朝鮮の現実だったのです。

 そこで、総督府は土地収税機構を健全なものとし、農業基盤を整備するために、全国土地調査を実行したのです。その調査には8年10カ月の歳月と2000万円以上(現在の価値で7000億円相当)の血税がつぎ込まれました。また、総督府は全国に申告通知を出し、土地調査に基づく正当な申告者には、たとえ農民であっても土地所有権を承認することにしたのです。農民の中には土地を隠し持っている者もいましたが、この申告制度により正当に土地所有者となることができたのです。この結果として、両班たちに農奴のようにこき使われていた農民の半数以上が土地所有者となり、生活も改善され豊かになったのですが、それは日本統治政策の恩恵ともいうべきものでした。

 総督府は朝鮮の農業基盤を整備するために水防工事や水利工事を優先的に行い、さらに水利組合を設立することで安心して農業ができるようにしました。また、農民が低金利で融資を受けられるように金融組合を組織するなど、彼らの生活がより豊かになるような施策を次々と実行したのです。特に大地主の朝鮮人たちは、農業基盤の充実により生産性を向上させ、日本へ米を輸出することで莫大な利益を得ることができるようになりました。その代表的な人物が三星(サムスン)グループ創始者の李秉喆(イビョンチョル)でした。大地主の二男として生まれた彼は、米の輸出で得た豊富な資金を元手に1938年に三星商事を設立し、今日のサムスングループの基礎を築いたのです。

 ところが、総督府が行った全国土地調査により、農業基盤の整備が進展する一方で、いくつかの憂慮すべき問題も起きました。一つは、申告すれば土地所有者になれるはずだったのに、申告期限を過ぎても耕作地の申告をしない農民が相当数いたことです。彼らが申告しなかったのは、一つには申告制度に対する無知と無理解によるものでした。さらにもう一つには、期限内に申告することを単に怠っていたというものです。申告さえすれば耕作地を所有することができたのに、その恩恵を無知と怠惰のゆえにみすみす失ってしまったのです。すると、申告されなかった土地はすべて所有者不明として登録され、それらの土地は総督府が所有することになりました。このような経緯を無視して、総督府によって土地が奪われたと主張するのは、全くの筋違いではないでしょうか。とにかく、総督府の農業政策により、それまでは土地を所有することができなかった農民の半数以上が自分の土地を持てるようになったのです。これは、ひとえに日本の統治政策のお陰なのです。

 また、せっかく手に入れた土地を手放す農民がいたことも事実です。日本の土地政策により耕作地を所有できた農民の中には、豊かになったことの副作用なのか、より贅沢で奢侈(しゃし:身分不相応な暮らしをすること)に流れる生活を好む者が現れてきたのです。こうした人々は、せっかく手に入れた土地を日本の企業や入植者に売却してまでも、高価な衣類や贅沢品を購入しようとしました。日本人が農民の土地を奪い、東洋拓殖株式会社や日本人の入植者に払い下げたと、非難されることがありますが、事実は全く違います。日本人が農民の土地を奪ったのではなく、やっと土地を所有することができた農民が過分な消費欲のために土地を売却したというのが真実なのです。しかも、当時の総督府は農民たちに日本の企業や日本人の入植者たちに農地を売却しないように指示しており、さらにそのような動きを察知すると、憲兵を派遣してまでも土地売却をやめさせようと説得していたというのです。朝鮮人の利益を守ろうとし、彼らの生活を心配していたのは、同胞の朝鮮人ではなく、総督府の役人たちであり、日本人だったのです。

 さて、韓国の教科書の記述についてですが、「土地調査事業によって不法に奪い取られた土地は全国土の40%にもなった」というのは明らかに虚偽です。土地調査により実測された全耕地面積は487万町歩でしたが、そのうち総督府により接収された土地は14万7000町歩でした。   これは、 全耕地面積の3%ほどにしかなりません。  いったいどこから40%などというでたらめな数字が出てきたのでしょうか。実は、この数字は、分母を土地調査以前の耕作面積である272万町歩とし、分子を総督府が接収した土地だけでなく、所有者不明の無主地(90万町歩)をも合算した104万7000町歩として計算することで出てきたものです。両班たちは脱税のために隠匿しておいた耕作地の所在を明らかにされるだけでなく、それらの隠匿耕地に課税されたことへの不満から、総督府が土地を奪ったという虚偽を言いふらしたのでしょうか。両班たちの身勝手な特権意識と偏狭な歴史認識が、今もなお韓国国民の歴史観を歪めているとしたら、実に寒心に堪えないことと言わなければなりません。そして、このような歪曲された歴史観を土台として日本の統治政策をいたずらに非難することは、何とも哀れで、悲しいことではないでしょうか。

 両班たちが独占していた土地を解放し、農奴のように苦しめられていた農民に耕作地を与え、農業基盤の整備をして農民を豊かにしてあげたのは日本であるにもかかわらず、なぜ、今もなお韓国の教科書では虚偽の歴史が教えられ、日本の統治政策が執拗(しつよう)に非難され続けなければならないのでしょうか。日本が土地を奪ったというのは事実ではありません。総督府のお陰で農民たちは自分の土地を所有することができたのです。その一方で、両班たちは農民から土地を奪い続け、その上、農民たちには理不尽な苦役ばかりを強いてきました。これこそが教えられなければならない歴史の真実なのです。

 日本統治時代の農業政策により、水田は併合前の84万町歩から1920年には115万町歩、さらに1942年には177万町歩になり、併合前のおよそ2倍以上になっています。また、農地が新たに開墾され、水利事業などにより生産能率は向上し、食糧生産は併合前の746万石から1918年には1529万石、1942年には2489万石とおよそ3倍以上にも増加しました。日本の歴史教科書には「国と少数の地主にしか土地の所有権は認められなかった」というような記述がありますが、これも明らかな間違いです。併合当時の農家戸数は270万戸でしたが、土地調査完了時には農民の半数以上になる187万人に土地の所有が認められているからです。

 総督府による土地制度の近代化により、朝鮮農民は両班や地主などの過酷な支配から解放され、多くの農民が土地所有を認められ、自作農として自立するだけではなく、李朝時代には考えられなかった豊かな生活を享受することができるようになりました。朝鮮半島の耕作地は整備され、その面積は倍増しました。ダムや灌漑(かんがい)設備の建設により、農作物の収穫は倍増し、朝鮮半島の人口は約1300万人から約2600万人にまで増加しました。併合後わずか30年ほどで人口が約2倍になるというのは世界史的にも稀有(けう)なことでした。さらに併合時には24歳であった平均寿命は、たったの30年で42歳にまで延びたのです。

 ソウル大学の李栄薫(イヨンフン)元教授は「日帝による土地収奪論」は神話であるとして、「植民地時代について知っている韓国人の集団的記憶は多くの場合、作られたもので、教育されたものだ」と指弾しています。日本が朝鮮に対してどれほど誠実に向き合い、近代化のためにいかに貢献したのか、私たちはかつての日本人が心血を注いで朝鮮統治を行っていたことを思い起こし、敬意を表すと共に、先人の歩みを誇りとするべきなのではないでしょうか。朝鮮半島に派遣されていた米国人記者が「李氏朝鮮時代よりも日本統治によって朝鮮人民は救われている」と評価していたことを忘れてはならないのです。