2025年10月21日火曜日

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 ’25 10/5(日) 第70回:トランプ大統領が語る「現代の福音」(← 10/21更新)
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2025年10月5日日曜日

第70回:トランプ大統領が語る「現代の福音」

 トランプ大統領が9月23日に国連総会で一般討論演説を行いました。各国首脳らに割り当てられた時間は約15分でしたが、トランプ大統領はおよそ1時間に及ぶ大演説を行ったのです。この演説を聞きながら、一つの諺(ことわざ)が想起されました。それは、「地獄への道は善意で敷き詰められている」というヨーロッパの諺です。世界は善意で敷き詰められた道を歩みつつ、地獄へと向かっているのでしょうか。実は、このことを誰よりも見抜いているのが、トランプ大統領なのです。

 今回の国連総会一般討論演説の中で、トランプ大統領は世界が地獄に向かっていることの明らかな事象として、二つのことを提示しました。そして、この言葉の中には、地獄に向かいつつある世界を救い出し、暗闇に迷い込んでいる世界を覚醒させようとするトランプ大統領の熱情が込められていたのです。それは、世界を救うために与えられたまさに「現代の福音」でもありました。しかし、世界中のどれほどの人々がトランプ大統領の語りかけに心を開き、「福音」の言葉に耳をそばだてたことでしょうか。

2025年9月28日日曜日

第69回:大東亜戦争の真実(20)

 日本海海戦は連合艦隊の圧倒的な大勝利に終わり、ロシアのバルチック艦隊は壊滅しましたが、実はロシアは戦争継続を決して諦めてはいませんでした。ネボガトフ少将が日本海で降伏旗を掲げた翌々日の5月30日、ロシアは宮廷での軍事会議において戦争の続行を決定します。ロシアの皇帝ニコライ二世は、バルチック艦隊は全滅したものの、満洲の陸上戦においては戦況を逆転させることができると考えていたからです。そして、ロシア本国から精鋭部隊30万を満洲に派遣し、反撃態勢を整えるよう計画していたのです。

 しかし、日本海海戦に大勝利した日本には、もはや戦争を継続するだけの兵力も財力もありませんでした。そこで、日本海海戦の勝利を受けて、その6日後となる6月1日、日本政府は米国のルーズベルト大統領に日露講和の斡旋(あっせん)を依頼します。ルーズベルト大統領は、日本の意図をよく承知しており、すぐに講和斡旋に動き出します。まずは、ニコライ二世とは従兄弟で年長者であるドイツ皇帝ウィルヘルム二世に親書を送り、ロシア皇帝ニコライ二世を説得してもらうことにしました。また、ロシアの同盟国であるフランスも、これ以上ロシアが弱体化すれば、仮想敵国であるドイツを利することになると危惧し、ニコライ二世に講和に応じるように勧告します。こうしてニコライ二世は渋々講和会議の開催を承諾することになったのです。そして、6月3日、ルーズベルト大統領からニコライ二世が講和会議の開催を承諾したという知らせが日本政府にも伝えられたのです。

2025年9月14日日曜日

第68回:大東亜戦争の真実(19)

 日本海海戦における作戦計画は、海軍首脳部が大枠を決め、この大枠をもとにして各艦隊の配置や敵艦隊を全滅させるための迎撃作戦計画は、秋山真之(さねゆき)作戦参謀が策定しました。これが、いわゆる「七段構えの戦法」で、その概略は次のようなものでした。

第一段(夜間襲撃):主力決戦前夜、駆逐艦及び水雷艇隊により敵主力を奇襲雷撃
第二段(主力決戦):早朝より艦隊の全力をもって敵主力部隊への砲雷撃による決戦
第三段(夜間襲撃):日没後に再び駆逐艦・水雷艇隊により敵艦隊を奇襲雷撃
第四段(追撃戦):敵艦隊の残存艦隊を追撃し、砲雷撃攻撃
第五段(夜間襲撃):日没後に駆逐艦・水雷艇隊による三度目の奇襲雷撃
第六段(追撃戦):敵艦隊の残存艦隊をウラジオストク付近まで追撃
第七段(機雷戦):第六段までに残った敵艦隊を事前に敷設したウラジオストク港口の機
         区域に追い込んで撃滅

2025年9月10日水曜日

第67回:大東亜戦争の真実(18)

 奉天会戦に勝利してから10日余りを経た3月23日、大山巌満州軍総司令官は「今後の作戦の要は政略と戦略の一致にあり」との意見を具申し、政府に早期の講和を促しました。そこで、日本政府は米国のルーズベルト大統領に講和の斡旋(あっせん)を依頼しますが、ロシア皇帝ニコライ二世は早期講和を断固拒否します。なぜなら、ロシアはバルチック艦隊を極東に派遣しており、制海権を奪回することで戦争に勝利できるとの期待をかけていたからでした。

 1904年4月7日、ニコライ二世はバルト海の最新鋭艦艇により編成された第二太平洋艦隊、いわゆるバルチック艦隊を制海権奪回のために極東に派遣することを決定し、 ロジェストウェンスキー中将を司令官に任命します。 そして、 周到な準備の後、半年後の10月15日、大小40隻を超える艦隊はバルト海のリバウ港を出港し、極東のウラジオストクを目指しておよそ3万㎞に及ぶ大航海に出発しました。

2025年9月4日木曜日

第66回:中国政府による「抗日戦勝記念」は歴史の捏造

 9月3日に中国共産党政権は北京の天安門広場周辺において、抗日戦勝80年記念の軍事パレードを行い、抗日戦争の勝利を祝賀する式典を挙行しましたが、この式典は歴史の捏造であるばかりか、虚構に満ちた歴史を世界中に広める悪意に満ちた政治的な宣伝であることを、日本政府は厳しく非難すべきでした。

 まず歴史の真実を確認しておきますが、中国共産党の軍隊が日本軍と戦い、勝利したという事実など全くありませんし、「抗日戦勝」という言葉自体が真っ赤な嘘なのです。習近平国家主席は演説の中で、共産党が日本の侵略と戦い勝利を収めたとアピールしましたが、これは共産党政権が常套句(じょうとうく)としている虚偽宣伝であり、全く史実ではありません。はっきりとさせておかなければならないのですが、日本軍が支那大陸で主敵として戦闘を交えたのは中華民国(蒋介石政権)の国民党軍であり、中国共産党軍ではありません。

2025年8月31日日曜日

第65回:大東亜戦争の真実(17)

 1905年2月21日から3月10日にかけて、日露戦争における最終的大会戦となる奉天会戦が行われました。日露両軍合わせておよそ60万人に及ぶ将兵が、18日間にわたり満州の荒野で激闘を繰り広げたのであり、これは世界史上でも稀に見る大規模会戦でした。日本陸軍は19個師団の総兵力24万9800名、対するロシア陸軍は30個師団半で36万7200名、戦力比は2対3とロシア軍が圧倒していました。

 2月20日、大山巌(おおやまいわお)満州軍総司令官は各軍司令官と第三師団長を集め、奉天会戦の意義について、次のように訓示しました。

 「近く目前に横たわる会戦においては、我はほとんど日本帝国軍の全力を挙げ、敵は満州に用い得べき最大の兵力と思わるる軍隊を引っさげ、もって勝敗を賭(と)せんとす。これ重要中の重要なる会戦にして、この会戦に勝を制したるものは、戦後の主人となるべく、実に日露戦争の関ヶ原というも不可なからん。故に吾人(ごじん)はこの会戦の結果をして全戦役(せんえき)の決勝となすごとく努めざるべからず。」