2025年6月17日火曜日

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 ’25 5/18(日) 第53回:大東亜戦争の真実(9)(← 6/13更新)
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 ’25 5/21(水) 「久延彦便り Q&A」(11)(← 6/17更新)
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2025年5月18日日曜日

第53回:大東亜戦争の真実(9)

  1876年に締結された日朝修好条規により、国際法的には朝鮮は清国の属国ではなく、自主独立の国家であることが承認されることになりました。しかし、朝鮮国内においては、攘夷・保守派と開国・改革派の対立があり、攘夷・保守派の大院君(たいいんくん)が失脚した後には、開国・改革派の閔妃(びんひ)政権が実権を掌握し、日本と協力して近代国家建設を目指していたのです。ところが、この動きに対して大院君が反乱を起こします。1882年、大院君派は閔妃派を攻撃し、日本公使館を焼き打ちします。しかし、閔妃政権はこの内乱を鎮圧することができず、清国に援助を求めることになりました。そして、反乱鎮圧のために派遣された清国軍が、大院君を捕らえることにより反乱は鎮圧されます。宗主国である清国に反乱鎮圧を要請するという属国としての朝鮮の態度は全く変わっていなかったのです。しかも、その後に閔妃政権はこともあろうに親日派から親清派へと転向してしまうのです。

2025年5月14日水曜日

第52回:日本の仮想敵国である中華人民共和国の国家目標

 中国共産党の価値理念を表す「勿忘国恥」(ぶつぼうこくち:国恥を忘れることなかれ)という言葉を聞かれたことがありますか。この言葉が中国共産党の国家目標を端的に表現したものであることを多くの日本人は知らないでいます。というよりも、あえて知らされないようにされています。それは、中国共産党の世界的野望を覆い隠すためであり、その歴史的国家目標を確実に実現するためです。

 「勿忘国恥」という言葉に込められた意味には、現代の世界が直面している最も深刻な問題が潜んでいるのです。はっきりと言えることは、中国共産党こそが、世界万民にとって最も危険な存在であり、世界平和を実現するためにはどうしても排除しておかなければならない害悪であるということです。

2025年5月11日日曜日

第51回:大東亜戦争の真実(8)

 「日本の行った侵略戦争すべてです。できることなら、日清戦争、日露戦争まで遡りたいところです」。

 これは、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、日本の戦争犯罪を糾弾するために連合国側の裁判長の口から発せられた言葉です。つまり、東京裁判史観によれば、日本は侵略国家なのであり、その侵略は日清戦争から始まったことになっているのです。もし、私たちが日本は侵略国家であり、その侵略の始まりが日清戦争であったと信じ切っているのなら、私たちは確実に東京裁判史観によって洗脳されているのであり、戦後の歪められた歴史教育の呪縛から未だに解放されていないということになります。

 歴史の真実はそのようなものではありません。日清戦争は日本による侵略戦争ではなかったのです。私たちは日清戦争の真の目的について、はっきりと知らなければなりません。それは、侵略戦争などではなく、朝鮮を清国の支配から解放し、朝鮮を独立国家とするための戦争だったのです。

2025年5月4日日曜日

第50回:大東亜戦争の真実(7)

 欧米列強による植民地支配の嵐がアジア全域において吹き荒れる中、日本だけが植民地支配を免(まぬが)れ、主権国家として独立を維持することができました。世界の陸地面積のほぼ99%が白人に支配されるという悪夢に見舞われた当時の国際情勢の中で、いかにして日本は独立を守り、欧米列強の植民地支配に抗(あらが)うことができたのか。そこには、日本に対する神の摂理があり、日本に対して天が与えようとしていた大使命があったのです。それでは、神の摂理の中で、天が願われた日本の大使命とはどのようなものだったのでしょうか。今回はそのことについてお話ししておきたいと思います。

 19世紀から20世紀にかけて、日本を取り巻く世界情勢を概観してみる時に、そこには世界秩序を構成する大きな潮流があり、さらにその流れを推し進めている思想があることを私たちは知らなければなりません。それでは、それらの思想とはどのようなものであり、さらに、それらの思想を礎とした世界秩序の形成は神の摂理的観点から見た時に、どのような意味を持っていたのでしょうか。

2025年4月29日火曜日

第49回:日本を滅亡から救った昭和天皇の御遺徳

 大東亜戦争の敗戦から80年となる今年は、同時に昭和100年となる年でもあります。そこで、大東亜戦争の敗戦による国家滅亡の危機から日本がいかにして救われ、戦後の奇跡的な復興を成し遂げることができたのか。そこには昭和天皇の御遺徳があったのですが、この歴史の真実を今日の日本人はどれほど分かっているのでしょうか。昭和100年を迎えた今、日本人として絶対に忘れてはならない昭和天皇の御遺徳についてお話ししておきたいと思います。

 それは、敗戦の翌年、昭和21年(1946年)2月から始められた全国御巡幸のことです。大東亜戦争の敗戦は、日本の歴史上初めて経験する国難であり、占領軍の統治はそれまでの日本の伝統的価値観を粉々に打ち砕くものでした。日本全土は焦土と化し、当時世界の最貧国とまで言われるほどに疲弊(ひへい)した国となり、国民は食糧難に苦しみ、衣服も住居もままならない、まさに瀕死の状態に置かれていたのです。

2025年4月20日日曜日

第48回:大東亜戦争の真実(6)

 1858年に締結された日米修好通商条約は、日本へのアヘン輸入を禁止しており、この条文のお陰で日本は清国のようにアヘン漬けにされることはなかったのですが、実は、この他にも日本が見えざる神の御手によって守られていたとしか思えないような歴史の真実がいくつかあるのです。

 まずはイギリスの対日戦略についてお話ししておきたいと思います。イギリスはアヘン戦争の勝利により清国に対する支配権を確立しましたが、実はアヘン戦争については本国において相当の非難がありました。アヘンの密貿易により経済的利潤を追求したことよりも、清国にアヘンを蔓延させることで、その国力を弱体化させ、さらには戦争という手段によって清国での支配権を確立したことについて厳しい目が向けられていたのです。「史上最も恥ずべき戦争」と自国民から非難されたのがアヘン戦争でもあったのです。