2024年11月6日水曜日

第21回:国連による差別的な内政干渉

 10月29日、国連の女性差別撤廃委員会が日本の女性政策についての最終見解を公表しましたが、同委員会はその中で日本の皇位が男系男子により継承されるのは、女性差別撤廃条約の理念とは相いれないとして、皇室典範の改正を勧告しました。同委員会は父方に天皇を持つ男系男子による皇位継承を定めた皇室典範は女性差別に当たると主張するのですが、主権国家の基本となる君主の位の継承にまで意見することは果たして国際機関として正しいことなのでしょうか。

 万世一系の皇統が今日まで126代、およそ2600年以上にわたって存続してきたという悠久の歴史の重みと日本国民の皇室に対する敬愛の心情を顧みることなく、単に男性だけが皇位を継承するのは「女性差別」だと非難することは、主権国家に対する内政干渉であることを、女性差別撤廃委員会の方々は理解しているのでしょうか。

 女性差別というなら、皇室典範はむしろ男性を差別しているのです。なぜなら、一般男性は絶対に皇族にはなれませんが、一般女性は婚姻により皇族になることができるからです。このような現実を無視して、皇室典範の規定を女性差別と告発することはいかに不当なことでしょう。

 さらに言えば、国連はローマ教皇が男性であることを非難したことはなく、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ法王について勧告したこともありません。ましてイスラムの聖職者が男性のみであることを今までに一度でも告発したことがあるのでしょうか。それなのに、日本の皇位継承だけをことさらに取り上げて、「女性差別」として勧告するのは、国連に潜む一種の差別感情ではないかと思うのです。

 今から8年前の2016年にも女性差別撤廃委員会は皇室典範の見直しを求める記述を盛り込もうとしたことがありますが、この時は日本政府の抗議により最終的にその記述は削除されました。これは安倍晋三首相の時でした。当時、安倍首相は国連からの勧告について憤慨され、次のように語っていました。
 「ひどい話だ。ある意味、宣戦布告だよ。本当にどうかしている。この件では怒る国民も多いだろう。だったら、ローマ教皇についても『何で女性はなれないのか』と勧告してみろよという話だ。あいつら絶対にそうは言わない。国連にはそういういやらしさがある。」

 そもそも国際連合という名称自体が誤訳なのです。国連の正式名称は「The United Nations」で、文字通りには「連合国」という意味です。これは第二次世界大戦中に日独伊の枢軸国と対戦していた国々を連合国と称したことに由来しています。つまり、国連(連合国)は戦勝国の集まりであり、敗戦国を監視し、指導する役割を担っているのであり、とりわけても国連憲章に敵国条項が存在しているように、敗戦国を徹底的に管理し、教育するという組織なのです。

 主権国家の基本に関わる皇室の在り方について干渉してくる国連に対して、日本政府はいつまで忖度(そんたく)し、日本国民はどこまで遠慮しなければならないのでしょうか。私たちは国際連合やその関係国際機関に対してあまりに卑屈になりすぎていませんか。今回の勧告に対して、日本政府が抗議と削除の要請をすることは当然のことですが、もしも文言の削除が認められないなら、日本政府は断固たる処置として国連への拠出金を一時的に停止することも考慮すべきではないでしょうか。また、女性差別撤廃委員会の存在根拠となっている女性差別撤廃条約から脱退することも選択肢の一つかもしれません。なぜなら、ローマ教皇について女性差別であるとの指摘がないのは、バチカン市国が女性差別撤廃条約の締結国ではないという理屈があるからです。

 女性差別撤廃委員会が悠久の歴史を誇る日本の歴史も伝統も文化も理解しようとせず、皇位継承を定めた皇室典範を女性差別だと断罪し、その改正を勧告することができるのは何故でしょうか。それは国際連合が戦勝国による組織であるからです。

 戦後80年を迎えるにあたって、日本人は大東亜戦争の大義を思い起こし、戦後教育の悪夢から覚醒し、世界に流布された不義に対して、一つの武器をもって立ち上がらなければならないのではないでしょうか。その一つの武器とは、「真実」です。今こそ、日本は歴史真実主義に立ち、戦勝国により捏造(ねつぞう)された歴史を「真実」によって克服しなければならないのです。日本政府だけでなく、日本国民一人一人が歴史の真実を世界に発信することにより、日本は戦後教育の呪縛から救われると、私は信じています。そして、日本が真の独立国家となることを、私は切望しています。

 正義をもって貧しい者をさばき、
 公平をもって国のうちの
 柔和な者のために定めをなし、
 その口のむちをもって国を撃ち、
 そのくちびるの息をもって悪しき者を殺す。
 正義はその腰の帯となり、
 忠信はその身の帯となる。 (イザヤ書 11章 4~5節)