2024年12月15日日曜日

第27回:大東亜戦争の真実-「証言」(2)

 大東亜戦争の真実を知る上で、私たち日本人がどうしても忘れてはならない「証言」があります。それは、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、一人の陸軍中将が語った渾身の証言です。その陸軍中将は陸軍最高の頭脳と言われ、戦争の天才とも称された人物でした。彼は療養中であったこと、さらには東條英機元首相(陸軍大将)と激しく対立していたことを考慮され、戦犯指定を免れていました。

 そこで、GHQは東條英機をA級戦犯とし、かつ死刑にするための証拠を得るために、その陸軍中将を法廷に召喚しようとしたのです。その陸軍中将の名は石原莞爾(いしわらかんじ)です。1946年5月3日、東京逓信(ていしん)病院に入院していた石原莞爾のもとを検事が訪れ、戦争責任についての尋問をしました。検事は、「この戦犯の中で誰が一番の第一級の悪人であるか」と単刀直入に尋ねました。すると、石原莞爾は次のように即答します。

 「それを私に聞くのか、それなら答えよう。それは、トルーマン米国大統領である。」

 思いもかけない答えに驚いた検事は「なぜ、そのようなことを言うのか、その理由を言いなさい」と問いただしました。すると、石原は枕元から一枚のビラを取り出し、毅然として答えます。
 「これを読め。ここにはこう書いてある。『もし日本国民が銃後において、軍と共に戦争に協力するならば、老人、子供、婦女子を問わず全部爆撃する。』これはトルーマン大統領の名前で出されたものである。国際法では、非戦闘員を爆撃してはならないと規定されている。にもかかわらず、非戦闘員を何十万人も殺した。したがって、トルーマンの行為こそ第一級の戦争犯罪である。」
 東條英機こそが第一級の悪人である、という証言を期待していた検事の目論見(もくろみ)はもろくも崩れてしまったのです。

 ところが、翌1947年、病気療養中のため郷里の山形にいた石原のもとに再び出廷命令が届きます。石原は「私は病気療養中なので、行ける訳がないだろう。お前たちがこっちに来い」と返答します。すると、まさに異例の事態なのですが、石原の要望通り、東京裁判が山形県酒田市で「出張裁判」を開くことになったのです。

 堂々と法廷に臨んだ石原に裁判長が「証人・石原はこの裁判に関して聞きたいことはありますか」と質問しました。すると、石原は「米国は日本の戦争責任を随分と古くまで遡(さかのぼ)ろうとしているようだが、一体いつまで遡るつもりなのか」と問いただします。これに対して、裁判長は「日本の行った侵略戦争すべてです。できることなら、日清戦争、日露戦争まで遡りたいところです」と冷静に返答しました。

 この裁判長の発言に対して、石原は奮然として次のような発言で応酬しました。
 「それなら、ペリーをあの世から連れて来い。日本は鎖国していたんだ。それを無理矢理開国させたのはペリーではないか。」
 石原の至極まっとうな正論に対して、法廷内は静まり返りました。この石原の証言にこそ、大東亜戦争の真実を知るための重要な鍵があるのです。つまり、西欧列強による植民地支配こそが大侵略時代の始まりであったこと、アジア諸国は欧米諸国によりことごとく植民地化されていたこと、これらの厳然たる事実を石原は思い起こさせようとしていたのです。

 最後に、裁判長は戦争犯罪に関して核心に迫る質問を投げかけます。裁判長は、これが最後の質問であると断りを入れた上で、「今回の戦争で最も罪深い戦争犯罪者は誰だと思われますか」と尋ねました。しかし、石原は前年の逓信病院での事情聴取の時と同様に「それは、米国大統領トルーマンである」と答えます。

 法廷にいる全員が動揺を隠せない中、石原の証言はなおも続きます。「何の罪もない民間人を原爆で殺しまくり、20万人も殺しておいて、それが正義だと言えるのか。トルーマンこそが最大の戦犯である。」

 さらに、石原は戦争犯罪についても次のような証言をして、裁判長をはじめ裁判官全員を沈黙させてしまうのです。

 「戦時中、日本の軍隊が悪いことをしたという部分もあるだろう。しかし、戦場の興奮によって戦闘員を殺害することは大いにあり得ること。もちろんそれらは忌むべき行為であるけれども、これらの偶発的な事件と計画的な大虐殺とは根本的に違う。トルーマンの行為こそ戦犯第一級中の第一級の行為である。今日、戦勝国がいかにこれを抗弁しようとも、公正な第三者と後世の人類によって歴史的な審判を受けることは免れ得ない。一国の大統領ともあろう者がかかる野蛮行為をあえてして、しかも、少しも恥じるところがない。我々はこのような者を相手にして戦ったことは、何とも恥ずかしい。」

 石原の圧倒的な正論に対して、法廷にいる全員はただただ驚愕しました。裁判長は裁判記録の破棄を命じ、そのまま裁判は終了させられたのです。言論統制下において、この裁判における石原莞爾の信念を貫いた勇気ある証言は日本のメディアによって紹介されることはありませんでした。しかし、裁判を傍聴していた一人の新聞記者は、目に涙を浮かべ、石原のもとに駆け寄りました。そして、石原にこのように伝えました。
 「私は非常に嬉しかった。日本が戦争に負けて、かつて偉そうにしていた指導者たちが手のひらを返すように、おどおどして答弁する様子を見てきました。それは非常に悲しい光景でした。しかし、今日の裁判の様子、将軍の発言を聞いて胸がすく思いがしました。ありがとうございました。」

 東京裁判において、正々堂々と大東亜戦争の大義を唱え、侵略戦争の始まりがどこにあったのかを告発した石原莞爾の証言に、私たち日本人は耳を傾けなければならないのです。心に何のわだかまりもなく、先入観も持たず、まさに虚心坦懐(きょしんたんかい)にこの証言に向き合う時、私たちは今まで知ることのできなかった「大東亜戦争の真実」に出会うことができるのではないでしょうか。

 聞け、わたしは高貴な事を語り、
 わがくちびるは正しい事を語り出す。
 わが口は真実を述べ、
 わがくちびるは悪しき事を憎む。
 わが口の言葉はみな正しい、
 そのうちに偽りと、よこしまはない。
 これはみな、さとき者の明らかにするところ、
 知識を得る者の正しとするところである。 (箴言 8章 6-8節)