2025年1月29日水曜日

第35回:日本を新生復活させるための提言(4)

  『日本書紀』によれば、天照大神は皇孫である瓊瓊杵尊(みみぎのみこと)を豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)に降臨させた、いわゆる「天孫降臨」において、三つの神勅(しんちょく)を授けられました。その一つである「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」については、すでに紹介させていただきましたので、今回は二つ目の神勅、「宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅」についてお話ししてみたいと思います。

 『日本書紀』には次のように記されています。

「吾(あ)が児(みこ)、此の宝鏡(たからかがみ)を視(み)まさむこと、当(まさ)に吾(あれ)を視るがごとくすべし。与(とも)に床(みゆか)を同くし殿(みあから)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いはひのかがみ)となすべし。」

2025年1月26日日曜日

第34回:大東亜戦争の真実(1)

 大東亜戦争の真実とは何なのか、戦後80年の節目を迎える今、何よりも日本人が知らなければならない歴史の真実をこれから探求してみたいと思います。そして、戦後80年の呪縛から解放され、歴史の真実に出会うことで自由になる喜びを一人一人に感じていただきたいと願っています。

 戦後の日本人は虚偽と捏造の歴史教育により、余りにも理不尽な重荷を背負わされ、祖国に対する誇りも日本人としての自信も失ってきたように思います。いつになれば、私たち日本人は歴史の真実を取り戻すことができるのでしょうか。それは、今しかないと思います。日本人が自信と誇りを失い、日本の暗闇を言い表す「失われた30年」という言葉が流布(るふ)していますが、失われたのは30年ではなく、戦後80年のすべてなのかもしれないのです。

2025年1月19日日曜日

第33回:大東亜戦争の真実に辿り着くために

 大東亜戦争終戦80年の節目を迎えた今年、大東亜戦争とはいかなる戦争であったのか、私たち日本人はその真実を知らなければなりません。

 戦後、日本人は大東亜戦争の真相に真摯に向き合い、その真実を探求してきたでしょうか。GHQによる占領支配と極東国際軍事裁判(東京裁判)により、戦後の日本人は大東亜戦争が侵略戦争であり、間違った戦争であったと、単純に思い込んできました。そして、戦後の歴史教育では東京裁判史観に基づく歴史観だけが正しいものとされ、一面的で一方的な戦争論だけがひとり歩きしてきました。日本はアジア諸国を植民地化するための侵略戦争を国策として遂行し、その結果、おびただしい戦争犠牲者を生み出し、アジア諸国に甚大な被害をもたらしたのであり、先の大戦の反省と謝罪によってのみ日本は戦後の国際社会で生存することが許されていると信じられてきたのです。

2025年1月12日日曜日

第32回:日本を新生復活させるための提言(3)

 日本は建国された国ではなく、肇国(ちょうこく)された国であるということを前回お話ししましたが、今回は「肇国の精神」とは、どのようなものなのか、その内容について書き記してみようと思います。

 『日本書紀』によれば、肇国とは天照大神が皇孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)に降臨させたこと、つまり、「天孫降臨」のことを指していますが、この肇国の時に、天照大神は瓊瓊杵尊に三つの神勅(しんちょく:神が語られる言葉)を授けられ、豊葦原の瑞穂国を治めるように命じておられるのです。

2025年1月5日日曜日

第31回:日本を新生復活させるための提言(2)

 日本を新生復活させるためには、何が必要なのでしょうか。そして、今を生きる私たち日本人は何をしなければならないのでしょうか。今回は、日本を新生復活させるために何よりも大切なことの一つとして、「肇国(ちょうこく)の精神」について書き記してみたいと思います。

 「肇国」という言葉を聞いたことがありますか。大東亜戦争中の日本において文部省から発行されていた「高等科国史」の教科書は、「肇国」という単元から始まっています。「肇」は、「肇(はじ)める、肇(はじ)め」という意味で、「肇国」とは「国をひらきはじめる」という意味になります。

2025年1月1日水曜日

第30回:日本を新生復活させるための提言(1)

 2025年は大東亜戦争終戦80年の節目の年であるだけでなく、昭和100年、日露戦争戦勝120年の年でもあり、世界史的に見ても歴史の大転換期を迎えていると思います。その象徴的な出来事の一つが、1月20日に行われる米国大統領就任式なのです。トランプ大統領の就任は、混沌と紛争の中にある世界が新しくされるための一大慶事でもあるのです。だからこそ、トランプ大統領は2024年12月31日の演説で、「世界全体に光が差している」と語られたのです。

 しかし、残念なことに多くの人々はこの希望の光を認めることができず、あたかも盲人であるかのように目を塞がれてしまっているのです。暗闇の中をさまよう世界中の人々が、神の摂理の瞬間に眼(まなこ)を開き、天から聞こえてくる喜びの知らせに耳をそばだてることができたならと、願ってやみません。