大東亜戦争の真実とは何なのか、戦後80年の節目を迎える今、何よりも日本人が知らなければならない歴史の真実をこれから探求してみたいと思います。そして、戦後80年の呪縛から解放され、歴史の真実に出会うことで自由になる喜びを一人一人に感じていただきたいと願っています。
戦後の日本人は虚偽と捏造の歴史教育により、余りにも理不尽な重荷を背負わされ、祖国に対する誇りも日本人としての自信も失ってきたように思います。いつになれば、私たち日本人は歴史の真実を取り戻すことができるのでしょうか。それは、今しかないと思います。日本人が自信と誇りを失い、日本の暗闇を言い表す「失われた30年」という言葉が流布(るふ)していますが、失われたのは30年ではなく、戦後80年のすべてなのかもしれないのです。
では、現代日本の閉塞感の元凶とは何なのでしょうか。それは、大東亜戦争の真実を知らないことにあると断言できます。80年前の敗戦により、日本の歴史という縦糸は切れたままになっているのです。悠久の歴史から切り離されて戦後の日本が漂流してしまうのは無理からぬことでした。その縦糸をもう一度つなぎ合わせることが、日本が復活する唯一の道なのです。なぜなら、歴史という縦糸を通して日本国は肇国(ちょうこく)の精神を連綿と繋いできたからです。もう一度、日本という国に命の息を吹き入れ、日本国民の心に命の光を灯すために、大東亜戦争の真実を探求していきましょう。
今言(きんげん)をもって古言(こげん)を見ることがないように、大東亜戦争の真実を探求するための考察を始めようと思いますが、その手始めとして何をしたらよいのでしょうか。それは、極東国際軍事裁判において、石原莞爾(いしわらかんじ)陸軍中将が証言したあの一言の真意を探ることからではないかと思います。その一言とは、大東亜戦争をはじめとする日本の侵略戦争について尋問された際に、石原莞爾が語った証言です。
法廷で裁判長に石原は次のような問いかけをしました。「米国は日本の戦争責任を随分と古くまで遡(さかのぼ)ろうとしているようだが、一体いつまだ遡るつもりなのか」。そこで裁判長は返答します。「日本の行った侵略戦争すべてです。できることなら、日清戦争、日露戦争まで遡りたいところです」。この返答を聞いた石原が何と答えたのか。その時の証言が次の言葉です。
「それなら、ペリーをあの世から連れて来い。日本は鎖国していたんだ。それを無理矢理開国させたのはペリーではないか。」
この証言の真意を探ることにより、大東亜戦争の真実が見えてくるのではないでしょうか。つまり、鎖国していた日本を無理矢理開国させたことに西欧列強によるアジア侵略の目的が隠されていたからです。米国により開国を余儀なくされた日本ですが、実はこれよりはるか以前に西欧列強によるアジア侵略は始まっていました。そこで、ペリー来航の目的を論じる前に、石原の証言からさらに遡って、西欧列強によるアジア侵略の始まりにまで立ち戻り、日本が大東亜戦争に突き進んだ真の原因について考えてみたいと思います。
では、西欧列強によるアジア侵略の端緒(たんしょ)とは何だったのでしょうか。それが大航海時代の到来でした。大航海時代を転換点としてそれまでの世界観は劇的に一変しました。私たちはこの時代のことを漠然と学んでいるにすぎません。たとえば、コロンブスの新大陸発見(実際にコロンブスが到達したのは米国大陸周辺のサン・サルバドル島)、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の発見、さらにはマゼランによる世界一周の達成などです。
しかし、なぜ、彼らは危険を冒してまで新航路の発見に尽力し、大西洋を横断し、あるいはアフリカ大陸の南端を経由し、インド洋を横断しつつ、アジアに向かったのでしょうか。実はその目的は単なる冒険心でも開拓心でもなく、東南アジアを原産とする香辛料を獲得するためのものでした。当時、オスマン・トルコ帝国の隆盛により、ヨーロッパに通じる貿易路は遮断され、アジア産の香辛料が不足するようになったのです。そこで、アジア産の香辛料を直接ヨーロッパに運ぶための新たな貿易路が求められるようになりました。つまり、大陸を通る陸路ではなく、ヨーロッパとアジア諸国を直接つなぐ海路が必要になったのです。
そして、新航路を開拓するために役立ったものが、その当時に発明された羅針盤でした。また、イタリアの天文学者トスカネリは「地球球体説」を唱えており、コロンブスはこの説に従って西回りコースで、黄金の島ジパングを目指したと言われています。このような時代的状況の中で、当時ヨーロッパの覇権国家となっていたポルトガルとスペインにより大航海時代の幕が開けるのです。
しかし、これはどこまでも経済的な利益を求めた航海であり、特に東南アジアを原産とする香辛料を獲得するための新航路開拓がその主目的でした。ゆえに、ポルトガルとスペインによる世界進出は、ある意味においては経済的利得を追求するための世界征服の始まりとなってしまったのです。
石原莞爾が「あの世からペリーを連れて来い」と証言したことの真意は、まさに西欧列強による世界征服の時代にまで遡って、大東亜戦争の意味を問いたださなければならないという、渾身(こんしん)の告発だったのです。私たちは大航海時代を西欧列強による世界征服の始まりとは見ていないかもしれませんが、少なくとも、大東亜戦争を遂行した指導者たちが、このような歴史観を持っていたことだけは確かです。私たちは大東亜戦争がこのような歴史観と世界観に基づいたものであったことを決して忘れてはならないと思うのです。それこそが、今言をもって古言を見てはならないという、歴史の真実に辿り着くための基本原理だからです。
実は、極東国際軍事裁判においてA級戦犯として裁かれ、絞首刑された東條英機元首相は、法廷における証言を終えた後の休憩時間に面会した清瀬弁護人に次のようなことを語ったと伝えられています。
「この裁判の事件は1928年(昭和3年)以来の事柄に限って審理しているが、300年以前、少なくともアヘン戦争にまで遡って調査されたら、事件の原因結果がよく分かると思います。・・・またおよそ戦争にしろ外交にしろすべて相手のあることであり、相手の人々、相手の政府と共に審理の対象となったならば、事件の本質はいっそう明確になるでしょう。」
戦後80年を迎えた今、私たちは大航海時代にまで歴史を遡り、その時代の真相を見極めるために心を飛行させ、大東亜戦争に至るまでの歴史の真実を探し出さなければならないのです。
西欧世界から見れば大航海時代と称されるべきものも、アジア諸国から見れば、それは大侵略時代というべきものでした。コロンブスが新大陸を発見したというのも、それは西欧世界にとっての新たな発見であって、アメリカ大陸はコロンブスに発見されるずっと以前から存在していたのであり、そこに居住している人々もいたのです。それらの原住民を「インディオ」(ポルトガル語・スペイン語でアメリカ大陸の先住民を指す言葉であり、英語では「インディアン」)と呼んだのは、西欧世界の勝手な命名でしかありません。
大航海時代が西欧列強による世界征服の始まりであり、アジア諸国に対する植民地支配の始まりであるとすれば、そして、このような視点から過去の歴史を見つめ直すならば、私たちの眼は深い眠りから覚めて、驚嘆するような歴史の真実に出会うことになり、今日まで隠されていた大東亜戦争の真実に出会うことになるでしょう。