日本は建国された国ではなく、肇国(ちょうこく)された国であるということを前回お話ししましたが、今回は「肇国の精神」とは、どのようなものなのか、その内容について書き記してみようと思います。
『日本書紀』によれば、肇国とは天照大神が皇孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)に降臨させたこと、つまり、「天孫降臨」のことを指していますが、この肇国の時に、天照大神は瓊瓊杵尊に三つの神勅(しんちょく:神が語られる言葉)を授けられ、豊葦原の瑞穂国を治めるように命じておられるのです。
この時に授けられた神勅が、「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」であり、「宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅」であり、「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」なのです。これが三大神勅と呼ばれるものであり、日本の肇国の原点とも言えるものなのです。
しかし、戦後80年の間に「肇国」という言葉のみならず、その精神を体現する「三大神勅」という言葉さえも忘れられてしまい、現代の日本人にとっては、これらの言葉はもはや死語のごとく捨て去られたものになってしまったのです。日本国と日本国民の大生命である「肇国の精神」が失われてしまえば、日本が国家としての正気を失ってしまうのは当然であり、日本国民が混沌と暗闇の中で流浪(るろう)する民となってしまうのも必然の結果なのです。だからこそ、私たちは肇国の精神を思い起こさなければなりません。三大神勅で語られた天の大御心(おおみこころ)に立ち返るしかないのです。
では、「天壌無窮の神勅」とはどのようなものなのでしょうか。『日本書紀』には次のように書かれています。
「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是(これ)吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)きて治(しら)せ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。」
【現代語訳】
日本は、わが子孫が王として治めるべき国です。わが孫よ、あなたが行って治めなさい。さあ、お行きなさい。皇室は、天地とともに永遠に栄えることでしょう。
『高等科国史』の教科書には、その最初のページに「天壌無窮の神勅」が記されています。戦前の生徒が教科書を開き、最初に見る文章は「天壌無窮の神勅」でした。最初に読み聞かせられるのも、最初に教師から教えられるのも、神勅についてだったのです。初代神武(じんむ)天皇から今上(きんじょう)天皇までの読みと御即位年を記した「御歴代表」よりも先に「天壌無窮の神勅」が紹介されているのが、戦前の教科書だったのです。
では、「天壌無窮の神勅」にはどのような意味があるのでしょう。日本人が決して忘れてはならない神勅に込められた天意について触れておきたいと思います。
第一に、日本は天照大神の子孫である天皇によって統治される国であり、その皇室は永遠に存続するということです。つまり、日本国の中心である君主は万世一系の天皇にあることが示された神勅なのです。瓊瓊杵尊は天照大神の孫であり、瓊瓊杵尊の曾孫(そうそん)が初代神武天皇です。これより後、今日に至るまで皇位は父系により連綿と継承されてきました。その歴史は2685年にも及ぶ世界最古の国家なのです。しかも、万世一系の天皇が日本国を統治するというのは神勅によって明示されたものであり、まさに日本が神の御心によって肇国された国であることが宣布されているのです。
ですから、歴代天皇はこの神勅に従い、天の大御心を尊び、神ながらの大道に則(のっと)って国を治めることを統治の大原則として、今日まで変わることなく国家の安泰と国民の幸福のために祈り続けてこられました。これこそが、私たちの祖国、日本の国体なのです。そして、天照大神が「万世一系の天皇を中心とする日本という国は永遠に栄えるでしょう」と祝福された言葉が「天壌無窮の神勅」だったのです。国の中心となられる天皇が天の大御心に従いつつ、国家と国民のために祈りを捧げるならば、必ずや天はこの国を祝福し、永遠に栄えさせるとの約束を基(もとい)として肇(はじ)められた国、それが日本なのです。
もう一つ、私たちが心に刻まなければならないことがあります。それは、「日本は天皇が治(し)らす国である」ということです。ここで「治らす」という言葉は、『古事記』では「知らす」となっていますが、実にこの言葉にこそ日本の国体の神髄があります。
大日本帝国憲法の第一条は、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定しているのですが、実は、この憲法の草案者である井上毅(いのうえこわし:1843-1895)による原案では、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ治(シラ)ス所ナリ」となっていました。井上毅は大日本帝国憲法の第一条を書くために、『古事記』や『日本書紀』をはじめ、国史に関わる膨大な文献を読み漁(あさ)り、日本の国体を一言で表現しようと熟考を重ね、やっと辿り着いたのが「シラス(治らす・知らす)」という言葉だったのです。ただ、「治ス」という言葉が古語であり、すでに使われなくなっていることから伊藤博文により「統治ス」という言葉に置き換えられたのですが、伊藤博文も「治ス」という言葉を十分に理解していて、「所謂(いわゆる)シラスとは即ち統治の義に外ならず」と解説しています。
ところで、「天皇が治らす(知らす)国」とは、どういう意味なのでしょうか。「知らす」とは「知る」の丁寧語であり、「お知りになる」という意味になります。天照大神は瓊瓊杵尊を降臨させる際に、日本という国を「お知りになりなさい」と命じられたのです。それは、日本の国情を知ることであり、そこに住んでいる日本国民の生活をつぶさに見て知るということです。「お知りになる」ということが天の大御心であり、日本の統治原理なのです。天皇は国土や国民を領有する国王ではなく、権力や財力により支配する君主でもないのです。
では、「お知りになる」とは、具体的にはどういうことを意味しているのでしょうか。それは、国民の様子をお知りになることであり、国民に寄り添い、国民を「大御宝(おおみたから)」としてわが身のように思い、心を砕かれるということです。そして、国民の生活を「お知りになる」ことは、自然発生的に「祈り」に繋がっていきます。国民の生活を慮(おもんぱか)り、国民の幸福を願う心は、純真で誠実なる祈りとなり、天の御心に寄りすがる祈りとなるのですが、これが日本統治の礎となっているのです。
歴代天皇がいつの世にも国民の生活をお知りになろうと深い関心を寄せられ、国民のことをお知りになるための尽力を惜しまれなかったのは、天の御前に民を代表して真摯な祈りを捧げられる祭祀王としてのお姿そのものでもあったのです。
天皇は国民の様子をお知りになり、国民に心を寄り添わせ、国民を「大御宝」と呼び、国民の親のような立場で国家の安泰と国民の幸福を祈り続けてこられました。国民はそのような天皇を親のように慕い、天皇の思いに心を寄せ、その「大御心」に応えようとしてきました。これこそが、日本の国柄であり、国体そのものであったのです。天皇と国民の間に結ばれた慈愛と信頼の絆は、おのずから固く定まり、長き歴史を通して積み重なり、他国には決して見ることのできない国体を形作ってきたのです。
このように悠遠(ゆうえん)の昔より受け継がれてきた美しい日本統治のかたちを表現した一文こそ、大日本帝国憲法の第一条だったのです。「日本は万世一系の天皇が知らす国である」。この言葉にこそ、現代に受け継がれるべき「天壌無窮の神勅」の天意が表されていると思います。国民を「大御宝」として愛して下さる天皇の「大御心」をいつも心に思い、それに応えようとするところに、日本人の真の姿があるのではないでしょうか。私たち一人一人が天皇の「大御宝」であることを決して忘れず、「大御心」に応えられるように歩むことこそ、日本が新生復活する道なのではないでしょうか。
あなたは彼らを導いて、
あなたの嗣業(しぎょう)の山に植えられる。
主よ、これこそあなたのすまいとして、
みずから造られた所、
主よ、み手によって建てられた聖所。
主は永遠に統(す)べ治められる。 (出エジプト記 15章 17-18節)