2025年1月1日水曜日

第30回:日本を新生復活させるための提言(1)

 2025年は大東亜戦争終戦80年の節目の年であるだけでなく、昭和100年、日露戦争戦勝120年の年でもあり、世界史的に見ても歴史の大転換期を迎えていると思います。その象徴的な出来事の一つが、1月20日に行われる米国大統領就任式なのです。トランプ大統領の就任は、混沌と紛争の中にある世界が新しくされるための一大慶事でもあるのです。だからこそ、トランプ大統領は2024年12月31日の演説で、「世界全体に光が差している」と語られたのです。

 しかし、残念なことに多くの人々はこの希望の光を認めることができず、あたかも盲人であるかのように目を塞がれてしまっているのです。暗闇の中をさまよう世界中の人々が、神の摂理の瞬間に眼(まなこ)を開き、天から聞こえてくる喜びの知らせに耳をそばだてることができたならと、願ってやみません。

 そして、このような願いは日本に対しても変わりません。戦後80年を迎える日本も未だに深い眠りの中にいて、覚醒の兆しが見られないことは実に寒心に堪えないことです。

 しかし、はっきりと言えることがあります。それは、今こそ天の時が到来しているのであり、2025年は世界にとって、また日本にとっても、歴史上かつてないほどに天が動き、天が導く恩恵に溢れた一年になるということです。このような歴史的な一年を迎えて、日本の歩むべき道について、心に感じることを書き記しておきたいと思います。

 2025年を迎えて、日本は新しく生まれ変わらなければなりません。今こそ、日本は復活しなければならないのです。今までの歩みをこのまま続けてはなりません。国家としての威信と名誉を回復し、国民一人一人が自信と誇りを取り戻すことができなければ、このまま日本という国は衰退の一途を突き進むほかなく、国民は平和ボケとも言われる一種の催眠状態に陥ったままさまよい続けるしかない、そのように思えてならないのです。そして、これこそが日本にとっての真の国難であると思うのです。

 では、どのようにすれば、日本を新生復活させることができるのでしょうか。かつて、安倍晋三元首相は「日本を取り戻す」というスローガンを掲げて、国難に立ち向かおうとされました。しかし、「日本を取り戻す」という言葉に込められた真意を、当時どれほどの人が理解したでしょうか。

 「日本を取り戻す」という言葉には、失われてしまったものを取り戻し、日本が再び命の息を吹き入れられて、新しく生まれ変わるという願いが込められていたのではないでしょうか。それは、「戦後レジームからの脱却」でした。戦後の歴史教育により歪(ゆが)められ、傷つけられ、卑(いや)しめられた日本という国を、美しい国として、誇り高き国として、国民一人一人の手に取り戻すことが、安倍晋三元首相の願いでもあったのです。

 日本を新生復活させるためには、何よりも戦後の日本が失ってしまったものを取り戻すことから始めなければなりません。そして、日本が新しく生まれ変わるためには新しい命が授けられなければならないのであり、日本が復活するためには、もう一度この国に命の息が吹き入れられなければならないのです。

 それでは、日本が戦後失ってしまったものとは何でしょうか。また、日本が新生復活するために吹き入れられなければならない命の息とはどのようなものなのでしょうか。それは、戦後教育により歪められてしまった歴史を矯正し、覆い隠されてしまった歴史の真実を取り戻すことなのです。

 トランプ大統領が「再びアメリカを偉大にする」というスローガンを掲げて、第47代大統領に就任されますが、トランプ大統領が目指しているものも米国の復活であり、歪められつつあった米国の建国以来の美しい歴史を取り戻すことでした。これを「常識への回帰」として訴え続けてきたのです。失われたものを取り戻し、傷ついたものを癒すことが、米国の復活であるとすれば、戦後日本においても、同じことが言えるのです。安倍元首相とトランプ大統領がお互いに深く結び合っていたのは、二人とも祖国に対する純粋で素朴な愛国心を抱いていたからだと言われています。そして、愛する祖国が大切なものを失い、国のかたちが壊されていくことに、何よりも心を痛め、祖国の復活を何よりも願っていたからなのです。

 戦後80年を迎えてもなお、日本は敗戦と占領という負の遺産を背負わされ、占領体制の呪縛から抜け出せないでいるのです。この間、日本は侵略戦争をした加害者として謝罪とお詫びを要求され、まるで贖罪の戦後史であったと思えるほどに自らの罪ばかりを見つめさせられてきたのではないでしょうか。しかし、これが先の大戦、すなわち大東亜戦争の真実であるならば、それは致し方ないのかもしれませんが、もしもこの前提が偽りであったとしたら、これほど悲劇的なことはありません。

 占領支配の中で真実が歪められ、史実が捏造(ねつぞう)されてしまったとすれば、そして、そのような戦後の誤った歴史教育の呪いが未だに解かれていないとすれば、今こそ、私たちは歴史の真実を探求する旅に出立(しゅったつ)しなければならないのです。その旅路がいかに困難で、苦痛が伴うものであっても、あるいはその歩み自体が妨害され、非難され、迫害されようとも、私たちは日本国と日本人の名誉のために、もう一度立ち上がり、「歴史戦」という新たな戦いに馳(は)せ参じなければならないのです。

 戦後の捏造された歴史教育により、日本人も傷つけられてきましたが、何よりも深い傷を負い、苦痛と悲哀に呻(うめ)いているのは、日本国そのものではないでしょうか。私たちは今こそ、立ち止まって考えてみなければなりません。私たちにとってたった一つしかない祖国、それが日本です。美しい自然に育まれ、清らかな水に恵まれ、山の幸と海の幸に養われたのが私たち日本人でした。麗しい瑞穂の国、それが私たちの愛する祖国、日本なのです。

 しかし、戦後80年、日本という国そのものがいわれなき誹謗中傷によって傷つけられてきました。中国共産党政権は史実を捏造し、南京大虐殺などというデマを世界中に吹聴しました。韓国は従軍慰安婦や徴用工などの虚偽宣伝により日本の非人道性を告げ口してきました。歴史の捏造により日本という国は貶(おとし)められ、虚偽に基づく冤罪(えんざい)によって日本は幾度となく断罪されてきました。そして、このような捏造と虚偽に基づく告発に対して、日本政府は真摯に弁明することもせず、国際社会に真実を訴えることもせず、手をつかねたまま日本という国の名誉と尊厳を守ろうとはしなかったのです。

 古代の日本には「国誉(ほ)め」という神事がありました。ある国に任命された役人が最初にしたこと、それはその国を見渡せる場所に立ち、その国がどんなに素晴らしいかを褒(ほ)め称えることでした。国を愛し、国を尊び、国を褒め称えることにより、その国が限りない恩恵を与えてくれると考えていたのです。何と美しい神事ではありませんか。

 『古事記』には倭建命(やまとたけるのみこと)が詠んだ有名な国思歌(くにしのひうた:国誉め歌)があります。

「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(ごも)れる 倭しうるはし」

【現代語訳】
 大和国は国々の中で最も良い国だ。重なり合って、青い垣をめぐらしたような山々、その山々に囲まれた大和は、美しい国だ。

 戦後80年を迎えて、日本を新生復活させるためには、戦後の捏造された歴史教育により傷だらけになった日本を癒すことから始めなければならないのです。そのための特効薬は一つしかありません。それが歴史の真実を語り告げることです。歴史の真実を語ることは、日本を愛し、日本を尊び、日本を褒め称える、現代の「国思歌」となるはずなのです。日本国民一人一人が戦後教育の軛(くびき)から解き放たれ、一つしかない愛する祖国を救うために歴史の真実を全世界に向けて宣布しなければならないのです。偽りの歴史は真実によって修復され、貶められた名誉は真実によって回復され、壊されかけた国は真実によってのみ再建されるからです。

 私たちは歴史の真実という唯一の宝刀を携えて、捏造と虚偽に彩られた戦後歴史の暗闇を打ち破り、生命の光を燦然(さんぜん)と輝かすことのできる希望の時代を切り拓かなければならないのです。「日の本」の国が世界の光の基となるように、心からの精忠を捧げ、日本の新たな夜明けを告げるための始まりが2025年であるべきなのです。今年こそ、日本国が美しい建国の精神を取り戻し、歴史の真実によって誇りと威信を回復することができるように、一人一人が邁進すること、それが国民の責務ではないかと思います。

 最後に、ジョン・F・ケネディ米国第35代大統領の就任演説の有名な一節を紹介します。
 「アメリカ国民の皆さん、国があなたに何をするかを問うのではなく、あなたが国のために何ができるかを自問して下さい。」

 私たちは日本のために何ができるのでしょうか。私たちは日本のために何をすべきなのでしょうか。そのことを自問することのできる素晴らしい一年が始まることを心より願っています。

 さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。(使徒行伝 1章 6-8節)