2025年3月2日日曜日

第41回:大東亜戦争の真実(3)

 大航海時代の到来と共に西欧列強による世界征服が始まったことはすでにお話ししてきましたが、それでは、これらの侵略行為はいかにして正当化されたのか、その根拠について詳しく論じてみようと思います。なぜなら、西欧列強による世界征服には法的根拠だけではなく、当時の思想的状況が生み出した植民地主義の正当化理論があったからです。そして、それらは単なる法理や理論を越えて、白人の責務としての崇高な使命となっていたのです。しかし、そのような崇高な使命がどうして邪悪な侵略主義となり、非人間的な植民地支配となり、さらにはおびただしい惨劇と容赦のない殺戮(さつりく)をもたらす罪悪史となってしまったのか、その歴史の真実を私たちは大切な教訓として心に刻まなければならないのです。

 それでは、西欧列強が世界各地を植民地支配していった法的根拠とはどのようなものだったのでしょうか。ポルトガルとスペインによる新航路開拓と新大陸発見は世界にはいまだその所有が定まっていない広大な土地があることを西欧世界に知らせることになりました。そして、これらの土地は「無主地(むしゅち)」と呼ばれ、何人の所有にも属さない土地として、その領有権が争われることになるのです。

 大航海時代を開いたポルトガルとスペインは「発見優先原則」を主張し、先に発見した国に領有の優先権があると考えていました。多くの無主地はポルトガルとスペインによって発見されていたので、その領有権は発見した二国によって独占されることになるはずでした。そこで、ポルトガルとスペインに遅れて植民地支配に乗り出したイギリス、オランダ、フランスは発見優先原則に代わる新しい法的根拠を主張するようになったのです。それが、「先占(せんせん)の権原(けんげん)」と言われるものです。

 先占の権原とは、いかなる国家によっても実効支配されていない土地は、他の国家に先んじて支配することで自国の領土にすることができるというものです。つまり、無主地の領有はどの国が発見したかによってではなく、その土地をどの国が実効支配しているかによって決定されるという法理なのです。従って、ポルトガルやスペインが無主地を発見したことは領有権の根拠にはならないのであり、他の国に先んじてその土地を実効支配することが唯一の法的根拠になるというのです。

 17世紀以降に主張された「先占の権原」を法的根拠とすることで、西欧列強は植民地支配を正当化することができるようになり、さらには西欧列強諸国間の植民地獲得競争を調整する法理として「先占の権原」が機能するようになったのです。これは西欧列強の価値観を絶対基準とする実に身勝手な法理なのですが、結局はこの法的根拠をもって世界征服は正当化されていくのです。

 ところで、何人の所有にも属していない土地が「無主地」であるというのですが、その土地は無人ではありません。大航海時代の新大陸発見とは西欧世界からの一方的な見方であって、その大陸は白人に発見される前から存在していたのであり、そこには住民もいたのです。しかし、西欧世界の価値観によれば、たとえ先住民が居住していたとしても、それらの土地は無主地であるというのですが、その根拠とは何なのでしょうか。

 たとえ先住民がいたとしても、そこにある程度の社会的・政治的組織が備わっていたとしても、未だに西洋文明に類する段階に達していないならば、それらの地域は「無主地」であるとされたのです。つまり、ある程度の文明化がされていない地域であるならば、いかに多くの先住民が暮らしていようとも、あるいはそれなりの歴史と文化を有していたとしても、それらの土地は無主地であるから、占有しても構わないということなのです。結局のところ、西洋文明こそが絶対的な価値基準であり、それから外れている地域はすべて無主地なのです。北米、中南米、アジア、アフリカなどはすべて無主地なので、西欧諸国はこれらの地域を占有することができ、植民地とすることができるというのです。

 さらに、このような法的根拠と共に、西欧列強が植民地支配を正当化した根拠がありました。それは、白人にとっての責務となり、崇高な使命とまで考えられるようになったのですが、それはいかなるものなのでしょうか。実は、この考え方に多大な影響を与えたのが、「進化論」だったのです。1859年、チャールズ・ダーウィンにより進化論についての主要著作である『種の起源』(正確な表題は『自然選択による種の起源について』)が出版されますが、この生物進化論は、やがて社会進化論として西欧列強の植民地支配を正当化することになります。

 生物進化論はその基本原理として生存競争と自然淘汰を提唱していますが、これが社会の歴史的変化にも類推適用されるとするのが社会進化論です。つまり、生存競争と自然淘汰は人種と人種の間の闘争や征服の事例にも適用され、先進的な西欧諸国による植民地支配を合理化する根拠となっていました。社会進化論に従えば、植民地住民は未開・野蛮・感情的であり、西欧諸国民は文明的・先進的・理性的であるということになります。従って、植民地統治は未開の地に文明をもたらすものであり、野蛮で非理性的な先住民を教育することにより、先進的で理性的な住民へと進化させていくことであると考えられていたのです。

 社会進化論の出現は、白人による植民地統治がより崇高な目的に裏付けられたものであるとの根拠を与え、西欧列強による植民地支配はあたかも天から与えられた使命であるかのような錯覚をもたらすものとなってしまったのです。そして、進化論が提唱された19世紀半ば以降の植民地支配は、より強権的で、侵略主義的なものへと変化していくことになったのです。

 もちろん、このような侵略主義的な植民地支配が顕著になったのは、「進化論」の影響によるところが大きいのですが、より根本的には、進化論が提唱する生存競争や自然淘汰の誤りを明確に指摘することができず、人種間に優劣があるという社会進化論を批判克服することができなかった当時のキリスト教会の無力と怠慢にこそ最大の責任があるのです。

 西欧列強は「先占の権原」という法的根拠を持ち出し、文明的ではない国や土地を「無主地」として領有の対象とし、さらには進化論に基づいて未開な原住民を文明化させるという大義名分を掲げ、それを白人の責務であると主唱して植民地支配を正当化したのです。

 しかし、私たちは歴史の真実を見誤ってはなりません。西欧列強による植民地支配の真実とはどのようなものなのか。それは、国際法に基づく正当な領有でも支配でもなく、文明化という美名の下になされた統治でもありません。歴史の真実はただ一つです。それは植民地支配が西欧列強による侵略であったということ、そして、その侵略の目的はひとえに自国の経済的利潤の追求であり、その動機は巨万の富を獲得するための金銭欲でしかなかったということです。

 ここに歴史の真実があります。それは富に対する欲望が歴史を動かしているということです。国家は自国の経済的利益だけを追求するようになり、金銭欲のために他国を侵略し、他国民を酷使し、他国の資源を搾取、略奪するようになるのです。ここには人間の宿命とも言うべき財欲との熾烈(しれつ)な戦いがあります。人間がその本心に抱く崇高な理念も、美しい理想主義も、財欲の嵐の前ではいとも簡単に瓦解(がかい)してしまうということを歴史は教えているのです。

 神が啓示する天的真理に従うことができなくなる時、金銭欲に抗(あらが)うことができず、富の誘惑に心を奪われる時、国家も国民も盲目となってしまい、まるで悪鬼の仕業とも思えるようなことを平然と行ってしまうのです。富の誘惑こそが人間の本心を狂わせるのであり、金銭欲によって人間は神のもとから離れてしまい、悪業を行ってしまうようになるのです。このような根源的な人間の罪悪を喝破(かっぱ)するかのように、イエス・キリストは次のように教えられました。

 だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。 (マタイによる福音書 6章 24節)

 西欧列強による大航海時代は、まさに財欲にまみれた人々によって主導された暗黒の時代であり、悲惨な植民地支配が蔓延する大侵略時代だったのです。このような時代的潮流の中で、近代国家となった日本は自国の独立を死守するために敢然(かんぜん)と立ち上がり、国家の総力を挙げて大侵略時代の荒波を踏み越えようとしたのです。これこそが歴史の真実であり、大東亜戦争へと突き進むことになる近代国家日本の歩みだったのです。