3月27日、複数の政府関係者により、戦後80年の節目に合わせた「戦後80年談話」の発出が見送られることが明らかになりました。最悪の事態が回避されたという意味では、これは一つの朗報ですが、手放しで喜ぶわけにはいきません。なぜなら、石破首相は首相談話の見送りは決定しましたが、有識者らによる会議体を設置し、その結果を踏まえた見解を記者会見で表明する方向で調整しているからです。どのような見解が発表されるか分かりませんが、石破首相が主導する限り、その内容が極めて自虐的な歴史観に基づいたものとなり、当時の軍部の暴走と政権の批判に焦点が当てられることは間違いないでしょう。石破政権の下で先の大戦の検証が行われ、何らかの見解が発表されることは、百害あって一利なしの愚行であると断言できます。
「第二次世界大戦の時に、日本の戦争指導者たちは何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから、私は靖国神社に参拝しない。あの戦争は間違いだ。多くの国民は被害者だ。・・・日本人が大東亜共栄圏の建設を主張したことは侵略戦争に対する一種の詭弁(きべん)だ。中国に謝罪すべきだ。」
これが誰の発言なのか分かりますか。これは、2008年(平成20年)1月に中国共産党系のメディアに向けて語られたものであり、この発言の主は当時の福田内閣の防衛大臣であった石破茂氏なのです。石破首相のかつての発言の中には、まさに「国賊」ではないかと思わざるを得ないような、信じられない証言がいくつもあるのです。
2006年9月23日付の毎日新聞鳥取県版では、「日中戦争は明らかに侵略戦争だし、韓国併合は植民地化だ」との発言が掲載されています。また、いわゆる「従軍慰安婦」問題については、「納得を得られるまでずっと謝罪するしかないでしょう」(2017年5月)と、何とも不見識で無責任な発言をし、虚偽捏造であることが知られている「南京大虐殺」については、「日本は中国に謝罪すべきだ」(2008年)という驚くような発言をして憚(はばか)らないのが、日本国の首相である石破茂という人なのです。
大東亜戦争の真実についてはまったく不勉強であり、浅薄(せんぱく)な歴史認識しか持ち合わせていない人物が、日本国の首相であるということこそ、まさに「国難」そのものではないでしょうか。ところが、石破首相本人はいかなる意図によるのか、先の大戦の検証を行うことに異様なまでに熱心なのです。
石破首相が「戦争検証」について強い意欲を示したのは、1月29日に開催されたシンポジウム「東京グローバル・ダイアログ」に出席した時でした。この時の講演において、石破首相は「今を逃して戦争の検証はできない」と強調したのです。そして、翌々日の衆院予算委員会では、立憲民主党の長妻昭代表代行の質問への答弁として次のような発言をしたのです。
「なぜあの戦争を始めたのか、なぜ避けることができなかったのか、なぜ途中でやめることができずに、あのような東京が焼け野原になり、広島・長崎に原爆が落ち、大勢の方が亡くなったのか。まだその記憶をきちんと自己のものとして持っておられる方々がおられるうちに検証するというのは、80年の今年が極めて大事だ。」
果たして、戦後80年を迎えた今、石破首相が戦争を検証し、何かしらの見解を表明することにどんな意義があるのでしょうか。しかも、既にご紹介したような「国賊」のような発言をし続ける石破首相が歴史の真実を検証し、大東亜戦争が何だったのか、その真実を語ることができるのでしょうか。
今からちょうど10年前、安倍晋三首相が「戦後70年談話」を公表しましたが、その談話をめぐる興味深い対談が月刊『正論』に掲載されています。ここで伊藤隆東京大学名誉教授が次のような発言をしています。
「いかなる戦争も講和条約や平和条約が結ばれたら、それで終わりです。敗れた国が謝り続けたり、いつまでも責任問題を外交に持ち出されたりすることは歴史上全くありません。日本もサンフランシスコ講和条約、日華平和条約、東南アジア諸国への賠償協定、日韓基本条約、日中平和友好条約を結んで、大東亜戦争の戦場になったり、併合したりした国とはすべて決着をつけました。なぜ日本だけが謝り続けなければならないのか分かりません。・・・なぜ、日本は歴史問題を利用され続けるのか。戦後、アメリカから東京裁判史観を植え付けられ、日本人がいまだに、その毒が抜けきらないからですよ。」
東京裁判史観で植え付けられた毒を抜くための戦争検証であり、謝罪外交に決別し、歴史問題を完全解決するための談話であるならば、それなりの意味があるのかもしれませんが、そのような歴史検証が行われる可能性は皆無であろうと思われるような有識者会議に何の意味があるのでしょう。大東亜戦争の真実とはどのようなものだったのか、その真実を探し求めることこそ、今の時に願われている戦争検証であると思います。
石破首相はまるで他人事(ひとごと)のように、先の大戦について検証しようとしているように思えてなりません。「なぜあの戦争を始めたのか、なぜ避けることができなかったのか、なぜ途中でやめることができずに・・・」と語られていますが、この言葉はそのまま石破首相と今の政権に対して、また石破首相を選んだ日本国民一人一人に向けられているのです。
「なぜ石破茂氏を自民党の総裁にしたのか、なぜそのことを避けることができなかったのか、なぜ途中で首相をやめさせることができなかったのか」。この問いかけに答えることができない政治家や有識者であるとすれば、そのような人々にどうして大東亜戦争の検証ができるでしょうか。戦前の過ちよりもはるかに大きな過ちを犯しているかもしれないのが、現代の政治家であり、財界人であり、官僚であり、マスメディアであり、有識者であるかもしれないのです。
人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
(マタイによる福音書 7章 1-5節)