2024年9月22日日曜日

第8回:教育は人間を悪魔にしてしまう

 人間が悪魔になってしまうのはなぜか。一つだけ確かなことがあります。人間はいかなる教育を受けるかにより、神の子にもなり、悪魔の子にもなるということです。教育がいかに大切なのか、それはどんなに強調してもし過ぎることはありません。人間は教育によってその人格を成長させ、人徳を涵養し、知性を輝かせ、知恵を身に着けることができるのですが、その教育を誤れば、人間の人格は歪み、人徳は廃れ、知性は曇らされ、悪知恵ばかりが横行するようになるのです。教育によって人間が悪魔となってしまったというその典型的な事例があります。それは、9月18日の広東省深市で起きた日本人学校に通う男子児童の刺殺事件です。

 私たちは一人の日本人として、この事件を決して忘れてはならないと思います。そして、何よりも心に刻まなければならないのは、中国人がこの事件について語った数々の言葉です。その中で最も悪魔的とも思える発言を紹介しましょう。それは、四川省カンゼ・チベット族自治州新竜県の黄如一副県長が言い放った言葉です。

 「子供を殺すことがそんなに大ごとなのか」
 「罪のない人を殺したわけではない。殺したのは小日本(日本や日本人に対する中国語の
  蔑称)の子供だ」
 「日本人を殺すことがわれわれの規律(掟)だ」

 これらの暴言は中国地方政府の幹部が語ったものですが、未だに地方政府当局は黄副県長に何らの処分も科していないのです。それもそのはず、中国外務省は会見で今回の事件を不幸な事件として遺憾の意を表明しながらも、その一方で「同種の事件はどの国でも起こり得る」と、まるで他人事のような無責任な発言をしているのです。何という言い草でしょうか。

 日本人学校の児童が襲撃されたのは、今回だけではありません。今年の6月にも江蘇省蘇州市で日本人学校のスクールバスが襲われ、日本人親子が負傷しているのですが、この時は犯人を止めようとした中国人女性が刃物で刺殺されています。では、この事件について中国のSNSではどのような発言があったのでしょうか。そこでは、犯人が英雄視されるだけでなく、何と信じられないことに犠牲になった中国人は売国奴とされているのです。中国人にとって日本人を助けて命を落とすことは売国的行為になるというのです。

 中国外務省の報道官は、このような事件はどこの国でも起こり得る、と開き直っていますが、短期間に相次いで日本人学校に通う児童が襲撃されるような国が、中国のほかに世界のどこに存在するのでしょうか。

 なぜ、このよう悲惨な事件が起きるのか。そして、中国では日本人を殺害することが、どうして称賛され、殺人者が英雄視されるのか。その主な原因の一つは「反日教育」であり、「愛国無罪」というおぞましいスローガンなのです。そして、このような反日教育の根底には共産主義思想という悪魔の思想があることを私たちは覚えておかなければなりません。中国人の心を蝕み、彼らを悪魔化させているもの、その正体は人間を悪魔にしてしまう共産主義思想というものなのです。

 「一つの妖怪がヨーロッパに現れている、―――共産主義という妖怪が」。これは『共産党宣言』の冒頭にある有名な言葉ですが、まさに、共産主義とは妖怪であり、幽霊であり、悪霊であり、悪魔そのものです。しかし、妖怪は闇の中で不埒(ふらち)な悪事をする悪鬼ですから、太陽が昇れば闇が消え去るように、真実の光が現れれば追い払うことができるのです。

 中国人が悪鬼のごとき言動に陥ってしまうのは、彼らが闇の力に支配されているからであり、さらには心のうちで光よりも闇を愛し、愛と赦しではなく、憎悪と復讐心を燃えたぎらせているからなのです。

 それならば、どうすればよいのでしょうか。答えは一つです。闇に打ち勝つ唯一の方法は真の光で闇を照らし出し、その悪行を光の中にさらすことです。「日中友好」などというふざけた偽善的な標語に惑わされてはなりません。歴史問題という虚構にいつまでも付き合わされ、お人好しの日本の指導者たちはいとも簡単に闇の中に引きずり込まれています。そして、親中派ならぬ媚中派として飼いならされているのです。

 では、闇に打ち勝つ真の光とはどのようなものなのでしょうか。それは、真実の光です。歴史問題を例に挙げれば、もはや中国に媚びへつらう必要はありません。歴史の真実を覆い隠し、その場限りの友好を求めてはならないのです。歴史の真実を正々堂々と語るべきです。闇に覆われた中国の指導者の心を光で照らし出し、誤った反日教育の餌食になっている中国国民の闇を白日の下に明らかにしなければならないのです。

 一人の日本人男子児童の犠牲を無にしてはなりません。10歳の男児の死を日本国の目覚めのための、そして日本人の覚醒のための尊い犠牲としなければならないのです。日本人は今こそ、歴史の真実を語るべきです。大東亜戦争の大義を世界万民に向けて真摯に語らなければなりません。そのことなしに、真の日中友好など絶対にあり得ません。共産主義という悪魔の思想にとりつかれた中国を救うためには、真実の鉄槌をもって彼らを闇の中から解放してあげ、真実の光で目覚めさせる以外にないのです。

 「子供を殺すことがそんなに大ごとなのか」。このような悪魔の言葉に私たちは耳を傾ける必要はありません。「同種の事件はどの国でも起こり得る」。このような悪鬼の言葉を相手にする必要などありません。私たちはただ一言、こう言えばよいのです。「子供は誰もが神の子である。神の子を殺してはならない」と。

 しかし、日本政府は何も言えませんでした。日本のマスメディアもだんまりを決め込んで、中国の顔色をうかがうばかりです。亡くなった日本人の男子児童を思いやる心はなく、同胞である日本人が異国の地でどうなろうとお構いなしというならば、何のための日本政府であり、どこが社会の公器としての言論機関なのでしょうか。

 「教育は国家百年の計」という言葉があります。中国は「反日教育」という歪んだ愛国教育から解放されなければなりませんが、日本も戦後の誤った自虐教育(これも一種の「反日教育」です)から救われなければならないのです。正しい善なる教育により、私たちは神の子とされなければならないのです。真の光に照らされて、闇の支配から救われなければならないのです。

 そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。                   (ヨハネによる福音書 3章 19-22節)

 あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。    (ヨハネによる福音書 8章 44節)