2024年7月13日、トランプ前大統領はペンシルベニア州で行われた選挙集会において狙撃されましたが、奇跡的に一命をとりとめました。
トランプ前大統領は、この時の暗殺未遂事件を振り返り、「弾丸が外れる位置に顔を向けたことは、単なる運ではない」と断言しました。そして、その奇跡的な出来事を思い起こしながら、「私自身が当選すれば、米国だけでなく、世界を救う可能性がある」とも語ったのです。この言葉に込められた深い意味をどれだけの人が理解しているでしょうか。
トランプ前大統領は「世界を救うために、神が救ってくれた」と確信しています。自分が救われたのは、偶然でも、運でもない。あの奇跡的な出来事は、まさに神の奇跡であったと。この発言は米国民に忘れられようとしている確かな真実を思い起こさせるものでした。それは、米国の建国精神がどのようなものであったかについて、さらには神が米国に対して今も抱かれ続けている偉大な夢についてでした。
かつてマーティン・ルーサー・キング牧師は「私には夢がある」という有名な演説をしました。この簡潔な一節は、人種差別の撤廃とすべての人種が協和して生きる高邁な理想を訴えたもので、米国民の心に深い感銘を与え、人々に広く共感されました。
しかし、今回、トランプ前大統領が語った言葉は、米国民に「神の夢」を思い起こさせるものだったのです。私はそのように確信しています。
では、米国に対する「神の夢」とはどのようなものなのでしょうか。神の夢とは、世界中の人々が幸福になり、この世界に永遠の平和が訪れることですが、それは換言すれば、この世界が救われることなのです。
神が米国の建国に際して、その胸深くに抱かれた夢があるとすれば、それは米国が神の摂理を担う選ばれた国として全世界を救うという天命を果たすことでした。
神は世界を救うために、その目的に殉じて神と共に歩む国民を必要としていました。世界を救うという夢を共に分かち合うことのできる一つの国家を願っていたのです。神の夢を共に実現するために、神の理想をこの地上に建設するために米国は選ばれたのであり、そのために米国は建国され、その米国を神は限りない恵みをもって祝福して下さったのです。
その米国が神から離れようとしていることを、トランプ前大統領は知っているのです。そして、米国が神から離れてしまうならば、米国はもはや神の祝福を受けることができなくなり、米国民の心から神が追い出されてしまうならば、国民一人一人は神を失った流浪の民となってしまうことを、誰よりも分かっているのです。そして、米国が神から離れ、米国が神の夢を忘れてしまったら、神が世界を救うことができなくなることを何よりも知っているのです。この真実が分からなければ、トランプ前大統領が行おうとしていることを正しく理解することはできないでしょう。
何故、トランプ前大統領は「米国を再び偉大にしよう(Make America Great Again)」と訴えるのか、また、「米国第一主義(America First)」を叫ぶのか、その真意も見えなくなってしまうでしょう。
トランプ前大統領が「世界を救うために、神が救ってくれた」と確信できたのは、米国に対する神の夢が今も変わることなく続いていることを、あの狙撃事件を通して知ったからです。そして、米国を再び偉大な国にすることが世界を救うという神の夢を実現することになることを誰よりも確信しているのです。
だからこそ、トランプ前大統領は銃撃されたその直後に、奮然と立ち上がり、右の手のこぶしを高く振り上げて「戦え(Fight)、戦え、戦え」(これは「闇の力と戦え」という意味であり、トランプ前大統領は米国を操ろうとする闇の勢力と戦っているのです)と聴衆を鼓舞することができたのであり、「神が私を救ってくれた」と神を賛美することができたのです。それは、神の加護が米国と米国民の上にあることを国民一人一人に思い起こさせるためでした。
私たちがはっきりと知らなければならないことがあります。それは、神は世界を救おうとされているということであり、そのために神はトランプ前大統領を救われたということです。これらの真実に目が開かれる時、米国は再び偉大な国となるでしょう。そして、米国が神の夢を実現するための偉大な国として目覚めた時、世界は間違いなく救いの戸口に立つことになるでしょう。
わたしはひどく押されて倒れようとしたが、
主はわたしを助けられた。
主はわが力、わが歌であって、
わが救となられた。
聞け、勝利の喜ばしい歌が正しい者の天幕にある。
「主の右の手は勇ましいはたらきをなし、
主の右の手は高くあがり、
主の右の手は勇ましいはたらきをなす」。 (詩篇 118篇 13-16節)