私たちの日常生活において最も大切な人権の核心となるものとは何でしょうか。それは「自由」です。米国合衆国憲法修正第一条は「宗教の自由、言論の自由および出版の自由」について定めており、「個人の自由」が最も尊重されるべきものとされています。
ところで、「自由」の起源とはどのようなものなのでしょうか。自由、及び基本的人権の起源をどのように定義するかということは、自由や基本的人権の性質を決定する上で最も重視されるべきことなのです。
私たち日本人は、概(おおむ)ね人権意識について曖昧であるとよく言われます。それは歴史的に人権の起源が何であるかを問うことなしに、自由や人権というものを受容してきたという過去があるからです。
しかし、米国においてはそうではありません。国民の権利は明確にその起源を有しており、それ故に人権、特に「個人の自由」は米国建国以来、憲法が守るべき最重要の権利として神聖不可侵のものとされてきたのです。
ところが、今回の米国大統領選挙では、神聖不可侵の自由が侵犯されるかもしれないという危機に直面しているのです。それは、ハリス副大統領によって引き起こされようとしている危機なのです。ハリス副大統領は民主党全国大会の候補指名受諾演説において、「自由(Freedom:フリーダム)」という言葉に12回言及しました。また、グラミー賞の最多受賞者である米国歌手ビヨンセの代表曲「フリーダム」をテーマ曲として、「自由」についての新たな定義づけを試みようとさえしていたのです。
その代表例が「生殖上の自由」というもので、これは端的に言えば、人工妊娠中絶の権利を意味します。つまり、すべての女性には、自分の身体に関する決断を下す権利があるというものです。これは、明らかに連邦最高裁の判断(2022年6月24日)により人工妊娠中絶に関する憲法上の権利が覆されたことに対する反発から出てきたものでした。この他にも、ハリス副大統領は次のような異色の自由も提唱しています。例えば、「学校や地域社会で銃暴力から安全に生きる自由」、さらには気候変動と環境破壊を念頭に置いた「清浄な空気や水を得る自由」などです。
これらの新しい自由の特徴は、政府の介入により与えられ、かつ守られる自由であるということです。政府が与える自由、そして、政府によって保護されるべき自由というものが、個人の自由として提唱されるとするならば、ここにこそ「自由」の危機が潜んでいるのですが、この真実をどれほどの人が認識しているでしょうか。
1964年の大統領選挙において、共和党のゴールドウォーター候補の応援演説に立ち、建国の父が主唱した自由が脅威にさらされていると訴えた人物がいました。のちに第40代米国大統領となったロナルド・レーガンです。当時まだ俳優であったロナルド・レーガンは次のように語りました。
「生まれながらの不可侵の権利は、今や政府から分配されるものだと考えられている。今ほど自由がもろく、私たちの手から逃げ落ちそうな時はない」。
自由が政府の介入を前提として守られる時、人権が政府から分配されるものになってしまう時、国民は政府の奴隷になってしまうことを忘れてはならないのです。政府によって与えられたものは政府によって奪われ、政府によって守られているものは政府なしには守られないという現実が生み出されることになるからです。これこそが、自由の危機であり、人権の死につながるのです。
ジョージ・ワシントン米国初代大統領についての印象深い逸話があります。ワシントンが合衆国憲法を最後に批准したロードアイランド州を訪問した時のことです。地元のユダヤ人コミュニティーの代表が、自分たちにも他の米国市民と同様の権利を与えてくれたことに感謝の意を伝えました。ワシントンはこのことに感激し、4日後にユダヤの会衆に向けて次のようなメッセージを伝えました。
「この新しい国(米国)における市民権は寛大さの問題ではなく、ある階級の人々が、別の階級の人々に恩恵として与えるものでもありません。・・・もともとすべての人は良心の自由と市民としての権利を平等に持っているのです」。
つまり、自由や権利というものは、合衆国政府が与えるものではなく、ましてや大統領が与えることができるものでもありません。自由や権利は生まれながらにしてすべての人が持っているものなのです。なぜなら、それは創造主なる神によって授けられたものだからです。ここに自由が何よりも尊重されなければならず、政府が恣意的(しいてき)にこれを与えたり、奪ったりすることができない理由があるのです。
自由の価値は米国建国以来、神聖不可侵のものとされてきました。そして、これが米国の建国精神であり、米国が米国であり続けるための礎でした。しかし、ハリス副大統領は、この神聖不可侵の自由を神の手から奪い取り、政府が与えるものとして再定義しようとしたのです。これこそ、神への冒瀆であり、神への反逆であり、神が授けられた賜物(自由)を盗む行為です。ハリス副大統領は、もともとカリフォルニア州司法長官をも務めた法律家です。にもかかわらず、「自由」についてここまで無知であり、思い違いをしている人物が大統領候補として立てられていることこそ、米国が直面している、「今そこにある危機」なのです。
イエスは言われた、「あなたがたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか。」 (マルコによる福音書 12章 24節)