2024年10月4日金曜日

第13回:「Make America Great Again」の真意(3)

 米国の建国精神とは何なのでしょうか。それは、米国が神への信仰によって、つまり、神を礼拝する自由を希求する聖徒たちの信仰によって建国されたということです。神を求める清教徒たちの信仰なくして、米国の建国の歴史を語ることはできないのです。

 合衆国憲法修正第一条は次のように定めています。

 連邦議会は、国教を樹立し、若しくは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない。また、言論若しくは出版の自由、または人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない。

 これは宗教の自由、言論および出版の自由を保障するものとして、米国憲法の核心的価値観となっているものです。ここで何よりも大切なことは、「自由」(Freedom)は神から与えられた天賦人権であり、人間によって与えられたものではなく、また、政府によって与えられたものでもないということです。したがって、政府や議会は神が賦与された「自由」を決して侵犯することはできないのです。

 このような人権に対する理解は、神への信仰によって裏打ちされているものであり、人権意識が希薄とも言われる多くの日本人にとっては、ほとんど意識されていないことではないかと思います。しかし、人権が誰から与えられたものなのか、という問いかけはとても大切なものです。そして、その「誰」をどのように定義するかによって人権の根拠は根底から変わってしまうのです。多くの日本人はそのことにさえ気づいていないのではないでしょうか。

 私たちが日常的に所有し、あるいは当然のように行使している「人権」は、その根源をどこに置いているのでしょうか。もし、これらの人権が人間によって与えられたものであるなら、人間はその人権を奪うことも、抑圧することもできます。人権を与えたのが政府であるとするならば、政府は場合によっては人権を停止させ、あるいは必要に応じて制限することもできるのです。

 人権が神聖不可侵なものとなるためには、これらの権利が人間によってではなく、また政府によってでもなく、ただ創造主なる神によって賦与されたものであると定義する以外にありません。だからこそ、神への信仰なくして人権が不可侵なものになることはなく、神への信仰を土台としない自由は真の自由とはなり得ないのです。

 米国の独立宣言文の起草者である第3代大統領トーマス・ジェファーソンは神への信仰の喪失は自由の喪失につながると警鐘を鳴らし、神への信仰こそが人権を不可侵なものとする唯一絶対の根拠であると語りました。

 ところが、自由の喪失という最悪の事態が、信教の自由を抑圧したオバマ政権の下で引き起こされました。オバマ大統領は神への信仰を軽視しただけでなく、宗教を公の場から排除し、米国を神の信仰によって建国された国家ではなく、完全なる世俗国家に造り変えようとしたのです。それは、米国が自由を喪失した国家へと堕落してしまうことでした。オバマ大統領は「Fundamentally Transform America(米国を根本から造りかえる)」というスローガンを掲げていましたが、これは、米国が神への信仰によって建国された国であるという理念を根本的に覆すための標語であり、ビジョンでした。そして、その本質は米国の建国理念の否定であり、伝統的価値観の破壊であり、米国を全く新しい異質の国家へと根本的に変質させることだったのです。

 そのような危機的な状況の中で、2017年に就任したトランプ大統領は神への信仰と神から賦与された自由を取り戻すために立ち上がったのです。トランプ大統領は2017年5月に政府機関に信教の自由を尊重することを命じる大統領令に署名しました。そして、同年の10月に司法省は全政府機関が遵守すべき信教の自由擁護の指針を発表したのです。そこには、憲法修正第一条は、「信じる権利、礼拝する権利だけでなく、信仰に従って特定の物理的行動を取る、またはそれを控える権利を保障している」と明示されています。オバマ政権下で奪われていた米国の建国理念をトランプ大統領は再び取り戻したのです。

 私たちが自由であることを当然のように思い、人権というものは生まれながらにして保障されたものであると漠然と信じているとしたら、それはとても危険なことです。自由は政府によって与えられたものではありません。人権は国家が与えてくれたものではないのです。自由は神からの賜物であり、人権は神が与えて下さったものなのです。したがって、地球上のいかなる力も私たちの自由を奪うことはできず、私たちの人権を抑圧することはできないのです。

 もしも政府であれ、何らかの巨大な組織であれ、私たちに賦与された神聖不可侵の権利を奪おうとするものがあれば、私たちはその巨悪に対して立ち向かい、抵抗することができるのです。そして、この抵抗権を保証したものが憲法修正第二条であり、銃器所有を認めた憲法の精神であることを私たちは決して誤解してはなりません。

 合衆国憲法修正第二条は以下の通りです。

 規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民の武器を所有し、または携帯する権利は、これを侵してはならない。

 合衆国憲法修正第一条及び第二条は米国の建国精神を支える礎であり、神への信仰と神の賜物である自由を守るためには不可欠のものです。第一条で保障された神への信仰と自由を守るために、第二条では武器所有が認められているのです。神への信仰を守るために私たちは武器を所有し、神からの賜物である自由を死守するために銃器所有が認められているという憲法の基本的理念が、米国を偉大な国にしているのです。神への信仰が守られ、神から賦与された自由を謳歌することができる国家こそが偉大な国であり、米国がそのような建国精神を礎としている限り、米国は偉大な国家であり続けることができるのです。これこそが、トランプ前大統領が掲げている「Make America Great Again(米国を再び偉大にする)」というスローガンの真意なのです。

 米国の貨幣は1セントコインに至るまで「IN GOD WE TRUST(我神を信ず)」と刻印されています。米国は神への信仰を礎として建国されたのであり、「丘の上の輝く町」となり、世界を照らす希望の灯火となることを建国の精神としているのです。

 「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福追求を含む不可侵の権利が与えられている」と高らかに謳い上げられた独立宣言の精神を守り、米国が「丘の上の輝く町」となり、偉大な国家であり続けるために、トランプ前大統領は再び選挙戦に臨み、生命を賭して邪悪なる霊との戦いをしているのです。これは、現代の米国を、そして、世界を救うための神の摂理なのです。

 イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた、「なぜわたしをためそうとするのか。デナリを持ってきて見せなさい」。彼らはそれを持ってきた。そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
(マルコによる福音書 12章 15-17節)