2024年10月13日日曜日

第16回:靖国神社を救った真のキリスト精神

 大東亜戦争終結後、日本を占領統治したGHQ(連合国最高司令官総司令部)により、靖国神社が焼却され、その跡地に娯楽施設を建設するという計画があったことをご存知でしょうか。靖国神社を中心に音楽堂、美術館、博物館、映画館などを建設して、上野公園のような形式の娯楽街にするという構想があったのです。

 ところが、そのような計画を知った駐日ローマ法王代表・バチカン公使代理を務めていたブルーノ・ビッテル神父はすぐさま、総司令官マッカーサー元帥に次のような意見書を送ったのです。因みに、ビッテル神父はマッカーサー元帥やGHQを補佐していた人物でした。

 「自然法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務があり、それは、戦勝国か敗戦国かに左右されない平等の真理でなければなりません。
 もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう。我々は信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、どのような宗教を信仰しようが、国家のために亡くなった者は皆、靖国神社にその霊を祀られるようにすることを進言します」。

 この意見書はマッカーサー元帥の副官であったウィラー大佐に伝えられ、靖国神社を焼却・解体するという乱暴な計画は阻止されたのです。

 ローマ法王のもとに全世界のカトリック教会を統率する組織である教皇庁布教聖省は、日本のカトリック教会宛てに1936年5月26日付の「第一聖省訓令」というものを送付しています。その中で「祖国に対する信者のつとめ」として、神社への参拝は「愛国心と忠誠心の表現である」と明記されており、カトリック教徒の靖国神社への参拝は認められているのです。

 この訓令は支那事変(1937年)勃発間近という時代的な要請により送付されたものではありません。なぜなら、大東亜戦争終結後の1951年11月27日付の「第二聖省訓令」においても同様の内容が再び確認されているからです。

 つまり、真のキリスト精神とは、すべての国民は国家のために一命を捧げられた人々に対して敬意を払う権利と義務があり、これは戦勝国と敗戦国のいかんによらず平等の真理であるということであり、さらに、祖国への愛国心と忠誠心を表現するための行為(靖国神社参拝)はキリスト者のつとめであるということなのです。

 真のキリスト者は国家のために尊い生命を捧げられた死者の霊に対して敬意を払う権利があるだけでなく、そのような行為を義務として神から与えられているのです。そして、すべてのキリスト者は祖国への愛国心と忠誠心を表現するために信仰に基づいた責任ある行動をしなければならないのです。真のキリスト者は愛国者でなければならないということが、真のキリスト精神であることを忘れてはならないのです。

 日本における最初にして戦前唯一のキリスト者の首相であった原敬(はらたかし)*)は次のような言葉を残しています。

 「為政者たるものは忠君愛国の実績を挙げて国民に示す所がなければ国家の綱紀は保たれぬのである」。

 わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。                    (ヨハネによる福音書 15章 12-13節)

 すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。
(ローマ人への手紙 13章 1節)

*)原敬(1856年3月15日~1921年11月4日)第19代内閣総理大臣
 1918年9月27日、日本で初めての平民出身の首相となる。若き時にフランス人宣教師エヴラール神父と親交を深め、1873年(明治6年)4月に17歳で洗礼を受ける。洗礼名は「ダビデ」。1921年11月4日、関西での政友会大会に出席するため東京駅に到着直後、暗殺される。遺書には「勲章や爵位は好みません。墓には名前だけ書いて下さい」と書かれており、財産はすべて寄付し、死ぬまで平民として生き抜いた。
 また、原敬とその妻・浅は「偕老同穴(かいろうどうけつ):生きては共に老い、死しては同じ穴に葬られる、の意」を地でいく仲睦まじい夫婦であった。原敬が暗殺され、その遺体が政友会本部に運ばれようとする際、現場に駆けつけた浅は「原が生きている間はお国のものですが、こうなったら私だけのものです」と言って、遺体を自宅に連れ帰った。さらに原敬の葬儀を無事に終えた後、浅は埋葬に立ち会った人たちに、自分が亡くなったら夫の横で同じ深さに安置してほしいと懇願した。お墓の中で「あなた」と呼びかけるのに困らないために、という思いからであった。夫の死から1年4ヶ月後、浅の願いはかなえられている。原敬の郷里岩手県の菩提寺には夫婦の墓が仲良く並べられ、夫婦睦まじく安眠している。

*付記
 『尋常小学唱歌』第四学年用に掲載された文部省唱歌に『靖国神社』(作詞・作曲 作者不詳)という歌があります。以下はその歌詞です。

 花は桜木(さくらぎ) 人は武士(ぶし)
 その桜木に 囲まるる
 世を靖国の 御社(みやしろ)よ
 御国の為に いさぎよく
 花と散りにし 人人の
 魂(たま)はここにぞ 鎮(しず)まれる

 命は軽(かろ)く 義は重し
 その義を践(ふ)みて 大君に
 命ささげし 大丈夫(ますらを)よ
 銅(かね)の鳥居の 奥ふかく
 神垣(かみがき)高く まつられて
 誉(ほまれ)は世世に 残るなり