2024年10月27日日曜日

第19回:言論機関の使命と責任について

 言論機関の使命とは何でしょうか。米国大統領選挙の報道をはじめとして、日本でも報道の信憑性について疑義が投げかけられるようになっています。今日ほど言論機関の使命やその責任が厳しく問われている時はないのではないでしょうか。とりわけても既存の言論機関である新聞やテレビによる多くの報道が偏向しており、時には虚偽が含まれており、明らかに世論を誘導するような内容になっていることは実に憂慮すべきことです。こういう時だからこそ、改めて言論機関の使命について、またその責任について冷静に考察すべきではないでしょうか。

 では、言論機関の使命とはどのようなものなのでしょうか。コミュニケーション学の父と称されるウィルバー・シュラム(米国・ジャーナリスト、1907~1987)は、言論機関の機能について次の三つを取り上げています。
 一 見張りの機能:社会環境の現状や変化に対して情報を伝え警告を発する。
 二 討論の機能:社会環境に関して構成員間の意見を整理し世論を形成させる。
 三 教師の機能:価値観や社会的規範、知識などを次世代へと繋いでいく。

 また、言論機関は「第四の権力」とも呼ばれており、三権(立法・司法・行政)を監視し、社会的・政治的な事実を正しく報道し、解説することにより国民の「知る権利」に応えなければならず、さらに、世論の形成を通して国民の声を届けるという役割を担っているのです。

 ピューリツァー賞で知られる新聞出版者のジョーゼフ・ピューリツァー(米国・新聞人、1847~1911)も新聞の責任について次のように語っています。
 「我々の共和国とその新聞は、共に上昇し、共に下降する。正義と勇気を持った訓練された知識人による、優秀で、無欲で、公共心のある新聞であれば、公徳を維持できる。それがない人気取りの政府は、偽物で嘲笑の的だ。皮肉で、金銭目当ての、扇動的な新聞は、その中身と同様の卑しい人間を造りだす。共和国の将来を形成していくのは、次世代のジャーナリストたちの手にかかっている。」

 このように国家の将来をも左右しかねない重要な責任を負っている言論機関なのですが、現実にはどうでしょうか。国民は正しい情報を与えられ、ありのままの事実を知らされているでしょうか。安倍晋三首相が政権を担っていた当時の報道が余りにも偏向していたことは周知の事実ですし、今回の米国大統領選挙に関しても相当に偏った報道がされていたことは明らかです。つまり、現代の言論機関は偏向・偏見報道に終始し、二重基準(ダブルスタンダード)によって政治的な公平性を歪め、世論を誤った方向へと誘導しているとしか思えないのです。これは、ある種の洗脳教育です。洗脳はある特定の新興宗教が行っていることではありません。最大の洗脳機関は、現代の言論機関(マスメディア)そのものなのです。

 放送法第四条には次のようなことが定められています。

 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という)の放送番組の編集に当たっては、次の各号に定めるところによらなければならない。
 一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
 二 政治的に公平であること。
 三 報道は事実を曲げないこと。
 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする
   こと。

 この放送法を順守している報道機関がありますか。善良な風俗を害するようなスキャンダラスで低俗な報道で国民の欲情をあおり、政治的に不公平な報道においては政敵と定めた対象を一方的に批判・非難し、事実に基づかない虚偽や風評をことさらに言い広め、意見が対立していようが、多くの論ずべき課題が残っていようが、自分たちの主義・主張のみを言いふらして、反対意見には一切耳を傾けようとしない。これが現代の言論機関の実状ではないでしょうか。

 ピューリツァーが指摘したように、「皮肉で、金銭目当ての、扇動的な新聞は、その中身と同様の卑しい人間を造りだす」ことしかできないのです。言論機関が「社会の公器」としての本来的な使命に立ち返り、国民の知る権利を保障し、正しい国民世論を届けるという責任を果たすことができなければ、そのような言論は、ただ国民を惑わし、国民生活を混乱させ、国家の安寧と世界の平和を破滅させる道具にしかならないのです。

 言論機関は真理の灯台となり、何が真実で、何が偽りであるのかをはっきりと区別することのできる理性紙でなければなりません。そして、真実を偏りなく伝達することで、健全な国民世論の形成に貢献しなければなりません。さらに、社会環境に対して誠実に向き合う価値意識を啓蒙するために、言論機関は道徳言論であることを旨としなければならないのです。

 では、道徳言論とはどのようなものなのでしょうか。それは、家庭倫理と社会道徳を涵養(かんよう)するための原資を提供し、国民の道徳心と美徳を教化することに寄与する言論活動に他なりません。言論機関が伝達する事実やその解説、あるいは様々な論評を通して、国民は多くの真実に出会うことができ、深い思索と有意義な討論の機会を得て、国家のあるべき姿について思考することができるようになるのです。

 言論機関が、その使命と責任を果たすか否かに国家の将来がかかっていることを私たちは忘れてはなりません。そして、そのような使命と責任を担っているのが言論機関であることを知り、国民一人一人が「第四の権力」である言論機関の在り方について常に厳しい目を向けなければならないのです。

 彼らは正しい道を離れて、暗い道に歩み、
 悪を行うことを楽しみ、悪人の偽りを喜び、
 その道は曲り、その行いは、よこしまである。 (箴言 2章 13-15節)