2025年5月4日日曜日

第50回:大東亜戦争の真実(7)

 欧米列強による植民地支配の嵐がアジア全域において吹き荒れる中、日本だけが植民地支配を免(まぬが)れ、主権国家として独立を維持することができました。世界の陸地面積のほぼ99%が白人に支配されるという悪夢に見舞われた当時の国際情勢の中で、いかにして日本は独立を守り、欧米列強の植民地支配に抗(あらが)うことができたのか。そこには、日本に対する神の摂理があり、日本に対して天が与えようとしていた大使命があったのです。それでは、神の摂理の中で、天が願われた日本の大使命とはどのようなものだったのでしょうか。今回はそのことについてお話ししておきたいと思います。

 19世紀から20世紀にかけて、日本を取り巻く世界情勢を概観してみる時に、そこには世界秩序を構成する大きな潮流があり、さらにその流れを推し進めている思想があることを私たちは知らなければなりません。それでは、それらの思想とはどのようなものであり、さらに、それらの思想を礎とした世界秩序の形成は神の摂理的観点から見た時に、どのような意味を持っていたのでしょうか。

 大東亜戦争に至るまでの時代、世界秩序を形成し、あるいは新たに形成しようとしていた潮流としては次のようなものがあります。それは、大きくは三つの思想的潮流であり、それらの思想に基づく世界秩序の形成でした。

 第一に、15世紀の大航海時代から始められた西欧列強による植民地政策です。西欧列強は、南米大陸、アフリカ大陸、さらにはアジア諸地域を次々に攻略し、互いに競い合うかのように植民地支配に乗り出しました。そして、このような西欧列強による植民地支配、つまり、白人による世界制覇は、進化論に基づく「社会進化論」により正当化されることになりました。西欧列強にとって未開の地を植民地統治することは白人の責務であり、未開で野蛮な地域に文明をもたらすことは、まさに天命であるかのように考えられていたのです。すなわち、「社会進化論」という思想に支えられた西欧列強による世界制覇、植民地支配により白人を中心とした世界秩序が形成されようとしていたのです。

 第二は、歴史的には最も古いもので、東アジア地域に見られた「中華思想」を土台とした世界秩序です。これは「朝貢(ちょうこう)・冊封(さくほう)体制」と呼ばれるもので、その起源は1世紀初めに支那大陸に建国された漢(後漢:紀元25年に光武帝により建国)にまで遡(さかのぼ)ります。当時の漢帝国は貢物を携えて使節を派遣(朝貢)してきた周辺国の支配者を臣下と位置付けて、その支配権を認め、さらに官位や爵位を与えることで名目的に皇帝の臣下としました(冊封)。つまり、朝貢貿易を行った周辺諸国の支配者を臣下とすることで、漢を中心とする世界秩序を形成したのであり、これが「冊封体制」と呼ばれる中華思想に基づく世界秩序なのです。因みに、「中華」とは漢民族が世界の中心であり、その文化・思想だけが神聖なもので、周辺諸国の文化・思想のすべてを劣位なものとする思想であり、従って、ここには漢民族が中心となって世界を教化し、周辺諸国を中華文明の世界に導かなければならないという一種の選民意識があるのです。

 西欧列強が白人の優越性を社会進化論を根拠として主張し、非白人である有色人種を未開で、野蛮な民族とすることで植民地支配を正当化したように、漢民族は中華思想を根拠として、漢民族こそが世界の中心であり、それ以外の周辺諸地域を「化外(けがい)の地」、そこに居住する諸国民を「化外の民」として、それらの諸国民を教化し、文明化することを漢民族の責務と考えたのです。その意味では、社会進化論と中華思想には相通じるものがありました。それぞれが自らの優越性を誇示し、さらに有色人種や周辺諸国を教化し、文明化することを神聖な責務とするという思想的特質があったのです。

 第三は、1917年のロシア革命によって誕生した世界初の共産主義国家、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)による世界赤化政策です。ソ連は世界に共産主義革命を起こすことにより、全く新しい世界秩序を構築することを国家目標にしていました。そして、ロシア革命の指導者であるレーニンはコミンテルンという国際組織を設立し、世界中の共産主義運動を統一し、共産革命を促進することを至上目的としていたのです。「共産主義思想」を礎とした新しい世界秩序としての共産主義世界の実現を目指していたのです。

 ところが、これらの世界秩序形成の理論的支柱となったそれぞれの思想、つまり、社会進化論、中華思想、共産主義思想は、神の摂理的観点から見るならば、明らかに神の理想とは相容れない思想であり、神の理想に逆行する性質を有していたのです。そこで、神はこれらの思想を打ち砕き、形成された世界秩序を崩壊へと導くための摂理を行わなければならず、その摂理的使命を担うべき一つの国家を探し出さなければならなくなったのです。そのような摂理的な使命を担うべく、神の見えざる手によって独立を守られ、当時の世界秩序に抗うべき天命を与えられた国家こそ、日本であったのです。

 欧米列強による植民地支配の嵐が吹きすさぶ中、アジア諸国の中でほぼ唯一、植民地支配から免れた独立国家であり続けた日本は、尊王開国の道を歩み、さらには近代国家へと変貌していくことになりました。このような日本の国運が、まさに神の摂理の中で守られ、導かれていたことを私たち日本人は決して忘れてはならないのです。そして、そのような神の摂理の中で日本が守られたことは、天から与えられた大使命を果たすためであったことも同時に心に刻んでおかなければなりません。

 それでは、大東亜戦争へと向かう途上において、日本がいかにして不義なる世界秩序に立ち向かっていったのか、その歴史の真実を私たちは知らなければなりません。そこで、最初に取り上げなければならないことは、近代国家へと成長しつつあった日本が初めて経験した対外戦争についてです。それが、日清戦争(1894年~95年)であり、その後の日露戦争(1904年~05年)でした。これらの戦争の目的とはどのようなものだったのでしょうか。日本は欧米列強の真似事をして、世界に進出するために戦争を行い、あるいは、植民地支配に乗り出すための侵略戦争を行ったのでしょうか。

 かつての極東国際軍事裁判において、証人として召喚された石原莞爾陸軍中将は「日本の戦争責任についていつまで遡るつもりなのか」と、裁判長に問いただしました。その時、裁判長は次のように返答したのです。

 「日本の行った侵略戦争すべてです。できることなら、日清戦争、日露戦争まで遡りたいところです。」

 日清戦争、そして、日露戦争は果たして侵略戦争だったのでしょうか。断じてそうではありません。日本は神の摂理的使命を担わされる中で、不義なる世界秩序に抗うための、まさに「聖戦」として、日清・日露の戦役(せんえき)を戦ったのであり、侵略を目的として戦争をしたのではなかったのです。日清戦争の目的がどのようなものであり、日露戦争はいかなる目的によって行われたのか、この真実を知らなければ、大東亜戦争の真実に辿り着くことは決してできないのです。

 そこで、次回は日清戦争の真の目的についてお話ししてみようと思います。日清戦争は日本による侵略戦争の始まりではなく、むしろ神の摂理の中で行われた義戦でもあったのです。