2025年4月29日火曜日

第49回:日本を滅亡から救った昭和天皇の御遺徳

 大東亜戦争の敗戦から80年となる今年は、同時に昭和100年となる年でもあります。そこで、大東亜戦争の敗戦による国家滅亡の危機から日本がいかにして救われ、戦後の奇跡的な復興を成し遂げることができたのか。そこには昭和天皇の御遺徳があったのですが、この歴史の真実を今日の日本人はどれほど分かっているのでしょうか。昭和100年を迎えた今、日本人として絶対に忘れてはならない昭和天皇の御遺徳についてお話ししておきたいと思います。

 それは、敗戦の翌年、昭和21年(1946年)2月から始められた全国御巡幸のことです。大東亜戦争の敗戦は、日本の歴史上初めて経験する国難であり、占領軍の統治はそれまでの日本の伝統的価値観を粉々に打ち砕くものでした。日本全土は焦土と化し、当時世界の最貧国とまで言われるほどに疲弊(ひへい)した国となり、国民は食糧難に苦しみ、衣服も住居もままならない、まさに瀕死の状態に置かれていたのです。

2025年4月20日日曜日

第48回:大東亜戦争の真実(6)

 1858年に締結された日米修好通商条約は、日本へのアヘン輸入を禁止しており、この条文のお陰で日本は清国のようにアヘン漬けにされることはなかったのですが、実は、この他にも日本が見えざる神の御手によって守られていたとしか思えないような歴史の真実がいくつかあるのです。

 まずはイギリスの対日戦略についてお話ししておきたいと思います。イギリスはアヘン戦争の勝利により清国に対する支配権を確立しましたが、実はアヘン戦争については本国において相当の非難がありました。アヘンの密貿易により経済的利潤を追求したことよりも、清国にアヘンを蔓延させることで、その国力を弱体化させ、さらには戦争という手段によって清国での支配権を確立したことについて厳しい目が向けられていたのです。「史上最も恥ずべき戦争」と自国民から非難されたのがアヘン戦争でもあったのです。

2025年4月16日水曜日

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 以下にGoogle Chromeでの対処法を記しておきますので、ご確認ください。

2025年4月13日日曜日

第47回:東京大学入学式の式辞と日本の国難

  4月11日、東京大学の入学式が東京都千代田区の日本武道館で開かれました。今年度の新入学生は3122人で、日本の最高学府に学ぶ彼らこそ、日本の将来を担うエリートであるはずです。そして、そのような使命と責任を担うべき新入学生に向けてどんな式辞が語られたのか。東京大学の藤井輝夫総長は、戦後80年を迎える今年、日本がかつてないほどの国難に見舞われている今、どんな言葉を若者たちに語りかけたのでしょうか。

 かつて、東京大学の入学式で語られる式辞は、新入学生にのみ語りかけられたものではありませんでした。日本の最高学府である東京大学の総長が、一体どんな内容を語られるのか、日本の将来を担う学生たちにどんな言葉を贈られるのか、それは日本国民にとっても、とても意味深いものであったのです。なぜなら、日本の最高の知性を象徴する東大総長の言葉こそが、日本の将来を明るく照らす希望の光となるからであり、さらには日本の未来を指し示す道標(みちしるべ)となるからです。

2025年4月6日日曜日

第46回:大東亜戦争の真実(5)

 アヘン戦争の勝利により、イギリスは清国に対して香港島や九龍半島の一部割譲を認めさせ、アヘン貿易を認可させるなどして、ますます清国に対する支配圏を拡大していきました。また、この頃からアジア地域に対する欧米列強の植民地支配は急速に進んでいくことになります。19世紀に入ると、オランダはインドネシアのほぼ全域を支配します。また、イギリスは1866年にビルマ(現ミャンマー)、1895年にはマレーシアを植民地化し、フランスは1863年にカンボジア、1885年にはベトナムを制圧します。そして、1899年にラオスを植民地としてフランス領インドシナ連邦を成立させました。他方、1898年に米西戦争に勝利したアメリカは、スペイン領のフィリピンとグァムを領有し、独立国ハワイを併合します。

 まさに、19世紀は欧米列強による植民地支配がアジア諸国を席捲(せっけん)した時代であり、その中で白人の支配を免れていたのは、日本とタイ、そして朝鮮半島だけだったのです。ここでタイが独立を保つことができたことには理由がありました。それはイギリスとフランスによる植民地争奪戦において、タイが地政学的に緩衝地帯(かんしょうちたい:対立する二国の衝突を回避するための中立地帯)となっていたからでした。そこで、欧米列強は白人の手つかずの地となっている日本と朝鮮半島に対して、その侵略の機会をうかがうことになるのです。

2025年3月30日日曜日

第45回:戦後80年と大東亜戦争の検証

  3月27日、複数の政府関係者により、戦後80年の節目に合わせた「戦後80年談話」の発出が見送られることが明らかになりました。最悪の事態が回避されたという意味では、これは一つの朗報ですが、手放しで喜ぶわけにはいきません。なぜなら、石破首相は首相談話の見送りは決定しましたが、有識者らによる会議体を設置し、その結果を踏まえた見解を記者会見で表明する方向で調整しているからです。どのような見解が発表されるか分かりませんが、石破首相が主導する限り、その内容が極めて自虐的な歴史観に基づいたものとなり、当時の軍部の暴走と政権の批判に焦点が当てられることは間違いないでしょう。石破政権の下で先の大戦の検証が行われ、何らかの見解が発表されることは、百害あって一利なしの愚行であると断言できます。

 「第二次世界大戦の時に、日本の戦争指導者たちは何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから、私は靖国神社に参拝しない。あの戦争は間違いだ。多くの国民は被害者だ。・・・日本人が大東亜共栄圏の建設を主張したことは侵略戦争に対する一種の詭弁(きべん)だ。中国に謝罪すべきだ。」

2025年3月23日日曜日

第44回:日本を新生復活させるための提言(特別編2)

 大東亜戦争の敗戦から80年を迎える今、国家存亡の危機にあるとさえ思えるような、私たちの愛する祖国、日本の再興と復活を願い、今回は「特別編2」として一つのエピソードをご紹介しようと思います。それは、敗戦後間もない時に、昭和天皇が何をなされたのか、また、そのことをなされる際にどんなお話をされたのか、ということです。それは、私たち日本人が決して忘れてはならないことなのです。

 1946年(昭和21年)11月9日、午後8時、一人の男が昭和天皇によって“ある神社”に遣わされていました。天皇陛下が神社に特別に使いを送られるということは、異例中の異例のことでした(これまでに使いが派遣された神社は16社のみです)。そして、この時が、天皇陛下が神社に使いを送ることができる最後の機会でもあったのです。なぜなら、GHQ(連合国最高司令部)により発令される「神道指令」により、天皇陛下が神社に使いを送ることができなくなると思われたからでした。