2025年7月18日金曜日

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 ’25 7/6(日) 第60回:大東亜戦争の真実(13)(← 7/25更新)
 ’25 6/29(日) 第59回:大東亜戦争の真実(12)(← 7/18更新)
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 ’25 6/18(水) 「久延彦便り Q&A」(12)(← 7/18更新) 
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2025年7月6日日曜日

第60回:大東亜戦争の真実(13)

 1904年2月8日、帝国陸軍の先遣部隊は海軍の護衛を受けつつ、朝鮮の仁川(じんせん)に上陸しますが、この時に海軍の水雷艇とロシアの砲艦「コレーツ」との間で最初の直接戦闘が起きました。そして、翌9日の仁川沖海戦において連合艦隊はロシア旅順艦隊の巡洋艦二隻を撃破し、自沈させました。また、8日夜には旅順港に停泊するロシア東洋艦隊(旅順艦隊)への奇襲攻撃が開始され、ここに日露戦争の幕が切って落とされることになったのです。

 日露戦争における日本軍の基本戦略は次のようなものでした。日本陸軍は主作戦を満州に置き、最終的には満州の奉天(ほうてん)辺りで大会戦を行い、ロシア野戦軍を撃破するという戦略を立てており、一方、日本海軍はウラジオストクと旅順のロシア東洋艦隊を撃破して、黄海と日本海の制海権を掌握し、その上でバルチック艦隊との大海戦に臨むという戦略でした。

2025年6月29日日曜日

第59回:大東亜戦争の真実(12)

 1904年2月10日、日本政府は「露国ニ対スル宣戦ノ詔勅」を交付し、日本はロシア帝国に対して正式に宣戦を布告しました。常備兵力において15倍、国家の歳入では8倍になる軍事強国ロシアに対して、日本政府は国運を賭けた一大決戦に臨むことになるのですが、当時の日本政府ならびに軍部はどのような国家戦略をもってロシアとの開戦という国家の一大事業に取り組んだのでしょうか。

 日本政府には明確な国家的戦略がありました。決して無謀で無計画な戦争をしたのではないのです。「敵を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず」とは、兵法の教えですが、日本政府や陸海軍の首脳は日本の国力を熟知していましたし、ロシアとの国力差も十分に理解していました。そのような状況の中で、いかにすれば日本が大国ロシアに勝利することができるのか、そのための緻密(ちみつ)な戦略を描いていたのです。

2025年6月22日日曜日

第58回:「沖縄慰霊の日」に心を寄り添わせるとは

 昭和20年(1945年)6月23日、この日は沖縄戦で第32軍を指揮した牛島満(うしじまみつる)大将が自決し、日本軍による組織的戦闘が終了した日とされています。この日を忘れないため、そして多くの戦没者を悼(いた)むため、6月23日は「沖縄慰霊の日」と定められました。慰霊の日は広島、長崎の「原爆の日」(8月6日、8月9日)や「終戦の日」(8月15日)と共に、上皇陛下が日本人としてどうしても記憶しておかなければならない「4つの日」として、慰霊を尽くされてきた特別な日なのです。

 最後の激戦地となった沖縄県糸満市(いとまんし)摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が営まれますが、天皇、皇后両陛下をはじめ皇室の方々も、この日には黙祷され、亡くなった方々への哀悼の誠を捧げられます。

2025年6月15日日曜日

第57回:大東亜戦争の真実(11)

 1904年2月6日、日本政府はロシア帝国との国交断絶を通告し、2月8日に帝国海軍は旅順港外においてロシア艦隊への先制攻撃を開始します。そして、2月10日、日本政府は「露国ニ対スル宣戦ノ詔勅(しょうちょく)」を公布し、ここに日露両国は本格的な交戦状態に入ることになったのです。「露国ニ対スル宣戦ノ詔勅」には、日露開戦に踏み切らざるを得なくなった理由が明確に述べられており、そこには明治天皇の開戦についての悲痛なご心情までもが表白されているのです。詔勅の全文の現代語訳は次のようなものです。

2025年6月8日日曜日

第56回:大東亜戦争の真実(10)

 日本は日清戦争の勝利によって中華思想に基づくアジアの国際秩序である「冊封体制」を崩壊に導くことができました。1895年4月17日、日清両国の間で締結された「日清講和条約」(下関条約)は、朝鮮国の独立を承認し、ここに清国と朝鮮との朝貢・冊封関係には終止符が打たれたのです。つまり、日清戦争の後、清国の対外関係は朝貢・冊封という関係ではなく、条約に基づく関係に一元化されることになったのです。それは、中華思想よりも近代国際法が優越するということでもありました。

 神の摂理的観点から見れば、中華思想という価値観が崩壊させられ、それに基づく国際秩序である冊封体制が終焉したことは、神の理想的世界秩序を構築するための基盤を造成する第一歩となりました。日本は自国の国益として、朝鮮が清国の支配から解放されて、独立国家となるために日清戦争を戦ったのですが、これは神の摂理から見れば、アジア諸国を束縛していた旧態依然とした華夷秩序を崩壊させるための「義戦」であったことを私たちは忘れてはならないのです。

2025年6月1日日曜日

第55回:フランシスコ教皇の大きな過ち

 4月21日、カトリック教会の最高指導者であるフランシスコ教皇が逝去されました。そして、5月8日(日本時間9日)に新たな教皇としてレオ14世が選出されました。カトリック教会は2000年にわたり、統一性と一貫性を維持しながら、世界中におよそ14億人の信者を擁するキリスト教最大の教派です。その最高指導者の立場である教皇の絶対的な地位と権威の源とは何なのでしょうか。それは、歴代の教皇が、聖ペテロ(初代教皇)の後継者という立場であり、さらにその権威がキリストの御言葉に基づいているということにあります。キリストはペテロに対して次のように語られました。

 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉(よみ)の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう。
 (マタイによる福音書 16章 18-19節)

2025年5月25日日曜日

第54回:世界万民にとっての悪夢である「中国の夢」を阻止するために

 「夢」という言葉は、本来、希望に満ち溢れた美しい言葉ですが、今、世界には決して実現させてはならない「夢」があります。その夢は、世界にとっては悪夢であり、世界を絶望と不幸へと陥れる、決して実現させてはならない夢なのです。それが、「中国の夢」と呼ばれているものです。

 これは、中国共産党が掲げている夢であり、習近平国家主席が願ってやまない夢です。では、その夢とはどのようなものなのでしょうか。それは中華人民共和国(中国)が今世紀中に世界一の強国になることであり、より具体的に言えば、建国から100年後となる2049年までに米国を凌駕し、世界の頂点に立つことを意味しています。そして、世界一の強国になるための産業政策が、2015年に策定された「中国製造2025」なのです。これは、中国が「製造大国」から「製造強国」になるための経済政策であり、最終的には2049年に製造強国としての確固たる地位を占めることを目標としたものでした。

2025年5月18日日曜日

第53回:大東亜戦争の真実(9)

  1876年に締結された日朝修好条規により、国際法的には朝鮮は清国の属国ではなく、自主独立の国家であることが承認されることになりました。しかし、朝鮮国内においては、攘夷・保守派と開国・改革派の対立があり、攘夷・保守派の大院君(たいいんくん)が失脚した後には、開国・改革派の閔妃(びんひ)政権が実権を掌握し、日本と協力して近代国家建設を目指していたのです。ところが、この動きに対して大院君が反乱を起こします。1882年、大院君派は閔妃派を攻撃し、日本公使館を焼き打ちします。しかし、閔妃政権はこの内乱を鎮圧することができず、清国に援助を求めることになりました。そして、反乱鎮圧のために派遣された清国軍が、大院君を捕らえることにより反乱は鎮圧されます。宗主国である清国に反乱鎮圧を要請するという属国としての朝鮮の態度は全く変わっていなかったのです。しかも、その後に閔妃政権はこともあろうに親日派から親清派へと転向してしまうのです。

2025年5月14日水曜日

第52回:日本の仮想敵国である中華人民共和国の国家目標

 中国共産党の価値理念を表す「勿忘国恥」(ぶつぼうこくち:国恥を忘れることなかれ)という言葉を聞かれたことがありますか。この言葉が中国共産党の国家目標を端的に表現したものであることを多くの日本人は知らないでいます。というよりも、あえて知らされないようにされています。それは、中国共産党の世界的野望を覆い隠すためであり、その歴史的国家目標を確実に実現するためです。

 「勿忘国恥」という言葉に込められた意味には、現代の世界が直面している最も深刻な問題が潜んでいるのです。はっきりと言えることは、中国共産党こそが、世界万民にとって最も危険な存在であり、世界平和を実現するためにはどうしても排除しておかなければならない害悪であるということです。

2025年5月11日日曜日

第51回:大東亜戦争の真実(8)

 「日本の行った侵略戦争すべてです。できることなら、日清戦争、日露戦争まで遡りたいところです」。

 これは、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、日本の戦争犯罪を糾弾するために連合国側の裁判長の口から発せられた言葉です。つまり、東京裁判史観によれば、日本は侵略国家なのであり、その侵略は日清戦争から始まったことになっているのです。もし、私たちが日本は侵略国家であり、その侵略の始まりが日清戦争であったと信じ切っているのなら、私たちは確実に東京裁判史観によって洗脳されているのであり、戦後の歪められた歴史教育の呪縛から未だに解放されていないということになります。

 歴史の真実はそのようなものではありません。日清戦争は日本による侵略戦争ではなかったのです。私たちは日清戦争の真の目的について、はっきりと知らなければなりません。それは、侵略戦争などではなく、朝鮮を清国の支配から解放し、朝鮮を独立国家とするための戦争だったのです。

2025年5月4日日曜日

第50回:大東亜戦争の真実(7)

 欧米列強による植民地支配の嵐がアジア全域において吹き荒れる中、日本だけが植民地支配を免(まぬが)れ、主権国家として独立を維持することができました。世界の陸地面積のほぼ99%が白人に支配されるという悪夢に見舞われた当時の国際情勢の中で、いかにして日本は独立を守り、欧米列強の植民地支配に抗(あらが)うことができたのか。そこには、日本に対する神の摂理があり、日本に対して天が与えようとしていた大使命があったのです。それでは、神の摂理の中で、天が願われた日本の大使命とはどのようなものだったのでしょうか。今回はそのことについてお話ししておきたいと思います。

 19世紀から20世紀にかけて、日本を取り巻く世界情勢を概観してみる時に、そこには世界秩序を構成する大きな潮流があり、さらにその流れを推し進めている思想があることを私たちは知らなければなりません。それでは、それらの思想とはどのようなものであり、さらに、それらの思想を礎とした世界秩序の形成は神の摂理的観点から見た時に、どのような意味を持っていたのでしょうか。

2025年4月29日火曜日

第49回:日本を滅亡から救った昭和天皇の御遺徳

 大東亜戦争の敗戦から80年となる今年は、同時に昭和100年となる年でもあります。そこで、大東亜戦争の敗戦による国家滅亡の危機から日本がいかにして救われ、戦後の奇跡的な復興を成し遂げることができたのか。そこには昭和天皇の御遺徳があったのですが、この歴史の真実を今日の日本人はどれほど分かっているのでしょうか。昭和100年を迎えた今、日本人として絶対に忘れてはならない昭和天皇の御遺徳についてお話ししておきたいと思います。

 それは、敗戦の翌年、昭和21年(1946年)2月から始められた全国御巡幸のことです。大東亜戦争の敗戦は、日本の歴史上初めて経験する国難であり、占領軍の統治はそれまでの日本の伝統的価値観を粉々に打ち砕くものでした。日本全土は焦土と化し、当時世界の最貧国とまで言われるほどに疲弊(ひへい)した国となり、国民は食糧難に苦しみ、衣服も住居もままならない、まさに瀕死の状態に置かれていたのです。

2025年4月20日日曜日

第48回:大東亜戦争の真実(6)

 1858年に締結された日米修好通商条約は、日本へのアヘン輸入を禁止しており、この条文のお陰で日本は清国のようにアヘン漬けにされることはなかったのですが、実は、この他にも日本が見えざる神の御手によって守られていたとしか思えないような歴史の真実がいくつかあるのです。

 まずはイギリスの対日戦略についてお話ししておきたいと思います。イギリスはアヘン戦争の勝利により清国に対する支配権を確立しましたが、実はアヘン戦争については本国において相当の非難がありました。アヘンの密貿易により経済的利潤を追求したことよりも、清国にアヘンを蔓延させることで、その国力を弱体化させ、さらには戦争という手段によって清国での支配権を確立したことについて厳しい目が向けられていたのです。「史上最も恥ずべき戦争」と自国民から非難されたのがアヘン戦争でもあったのです。

2025年4月16日水曜日

💻 お知らせ事項💻

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 以下にGoogle Chromeでの対処法を記しておきますので、ご確認ください。

2025年4月13日日曜日

第47回:東京大学入学式の式辞と日本の国難

  4月11日、東京大学の入学式が東京都千代田区の日本武道館で開かれました。今年度の新入学生は3122人で、日本の最高学府に学ぶ彼らこそ、日本の将来を担うエリートであるはずです。そして、そのような使命と責任を担うべき新入学生に向けてどんな式辞が語られたのか。東京大学の藤井輝夫総長は、戦後80年を迎える今年、日本がかつてないほどの国難に見舞われている今、どんな言葉を若者たちに語りかけたのでしょうか。

 かつて、東京大学の入学式で語られる式辞は、新入学生にのみ語りかけられたものではありませんでした。日本の最高学府である東京大学の総長が、一体どんな内容を語られるのか、日本の将来を担う学生たちにどんな言葉を贈られるのか、それは日本国民にとっても、とても意味深いものであったのです。なぜなら、日本の最高の知性を象徴する東大総長の言葉こそが、日本の将来を明るく照らす希望の光となるからであり、さらには日本の未来を指し示す道標(みちしるべ)となるからです。

2025年4月6日日曜日

第46回:大東亜戦争の真実(5)

 アヘン戦争の勝利により、イギリスは清国に対して香港島や九龍半島の一部割譲を認めさせ、アヘン貿易を認可させるなどして、ますます清国に対する支配圏を拡大していきました。また、この頃からアジア地域に対する欧米列強の植民地支配は急速に進んでいくことになります。19世紀に入ると、オランダはインドネシアのほぼ全域を支配します。また、イギリスは1866年にビルマ(現ミャンマー)、1895年にはマレーシアを植民地化し、フランスは1863年にカンボジア、1885年にはベトナムを制圧します。そして、1899年にラオスを植民地としてフランス領インドシナ連邦を成立させました。他方、1898年に米西戦争に勝利したアメリカは、スペイン領のフィリピンとグァムを領有し、独立国ハワイを併合します。

 まさに、19世紀は欧米列強による植民地支配がアジア諸国を席捲(せっけん)した時代であり、その中で白人の支配を免れていたのは、日本とタイ、そして朝鮮半島だけだったのです。ここでタイが独立を保つことができたことには理由がありました。それはイギリスとフランスによる植民地争奪戦において、タイが地政学的に緩衝地帯(かんしょうちたい:対立する二国の衝突を回避するための中立地帯)となっていたからでした。そこで、欧米列強は白人の手つかずの地となっている日本と朝鮮半島に対して、その侵略の機会をうかがうことになるのです。

2025年3月30日日曜日

第45回:戦後80年と大東亜戦争の検証

  3月27日、複数の政府関係者により、戦後80年の節目に合わせた「戦後80年談話」の発出が見送られることが明らかになりました。最悪の事態が回避されたという意味では、これは一つの朗報ですが、手放しで喜ぶわけにはいきません。なぜなら、石破首相は首相談話の見送りは決定しましたが、有識者らによる会議体を設置し、その結果を踏まえた見解を記者会見で表明する方向で調整しているからです。どのような見解が発表されるか分かりませんが、石破首相が主導する限り、その内容が極めて自虐的な歴史観に基づいたものとなり、当時の軍部の暴走と政権の批判に焦点が当てられることは間違いないでしょう。石破政権の下で先の大戦の検証が行われ、何らかの見解が発表されることは、百害あって一利なしの愚行であると断言できます。

 「第二次世界大戦の時に、日本の戦争指導者たちは何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから、私は靖国神社に参拝しない。あの戦争は間違いだ。多くの国民は被害者だ。・・・日本人が大東亜共栄圏の建設を主張したことは侵略戦争に対する一種の詭弁(きべん)だ。中国に謝罪すべきだ。」

2025年3月23日日曜日

第44回:日本を新生復活させるための提言(特別編2)

 大東亜戦争の敗戦から80年を迎える今、国家存亡の危機にあるとさえ思えるような、私たちの愛する祖国、日本の再興と復活を願い、今回は「特別編2」として一つのエピソードをご紹介しようと思います。それは、敗戦後間もない時に、昭和天皇が何をなされたのか、また、そのことをなされる際にどんなお話をされたのか、ということです。それは、私たち日本人が決して忘れてはならないことなのです。

 1946年(昭和21年)11月9日、午後8時、一人の男が昭和天皇によって“ある神社”に遣わされていました。天皇陛下が神社に特別に使いを送られるということは、異例中の異例のことでした(これまでに使いが派遣された神社は16社のみです)。そして、この時が、天皇陛下が神社に使いを送ることができる最後の機会でもあったのです。なぜなら、GHQ(連合国最高司令部)により発令される「神道指令」により、天皇陛下が神社に使いを送ることができなくなると思われたからでした。

2025年3月16日日曜日

第43回:大東亜戦争の真実(4)

 西欧列強による大航海時代が、アジア諸国にとっては悲惨な大侵略時代そのものであったことはすでに詳述しました。財欲に突き動かされた西欧列強が経済的利潤のみを追求する中で、植民地支配という暴挙に出たのは、ひとえに人間の根底にある邪悪な欲望のゆえだったのです。

 では、人間の根底にある邪悪な欲望とは、具体的にはどのようなものだったのでしょうか。そのことをイギリスがアヘン戦争を引き起こすことになる経緯をたどりながら論じてみたいと思います。

2025年3月9日日曜日

第42回:「わが国はもはやWoke(ウォーク)ではない」

 米国のトランプ大統領は3月4日(日本時間5日)、上下両院合同会議での施政方針演説で、「わが国はもはやWokeではない」と宣言しました。「Woke」とは、「wake」(目を覚ます)の過去形で、「目覚めた、悟った」を意味する言葉ですが、トランプ大統領はこれを肯定的な意味で使っているのではありません。元来、「Woke」という言葉は、人種差別や性差別などの社会的不平等に気づくこと、目覚めることを意味したのですが、その考え方が余りにも極端であり、過激であるため、むしろこの言葉は嘲笑的なものとして、あるいは皮肉を込めた意味として使われるようになりました。日本では「意識高い系」とも意訳されていますが、これは本当に意識が高いという意味ではなく、むしろ軽蔑(けいべつ)的な意味を含んでおり、「お目覚め」と揶揄(やゆ)されて用いられることもあります。

 ところで、「わが国はもはやWokeではない」との宣言は、米国がDEI(多様性・公平性・包括性)推進策を廃止するということを意味しています。DEIとは、すべての人に公正な機会を与え、一人一人が不当に偏った立場に置かれることなく、多様な背景を受容できる社会の実現を目ざすものです。そして、このような価値観に共鳴する人が「Woke」、つまり、目覚めた人、悟った人であり、意識の高い進歩的な人々であるというのですが、果たしてそうなのでしょうか。

2025年3月2日日曜日

第41回:大東亜戦争の真実(3)

 大航海時代の到来と共に西欧列強による世界征服が始まったことはすでにお話ししてきましたが、それでは、これらの侵略行為はいかにして正当化されたのか、その根拠について詳しく論じてみようと思います。なぜなら、西欧列強による世界征服には法的根拠だけではなく、当時の思想的状況が生み出した植民地主義の正当化理論があったからです。そして、それらは単なる法理や理論を越えて、白人の責務としての崇高な使命となっていたのです。しかし、そのような崇高な使命がどうして邪悪な侵略主義となり、非人間的な植民地支配となり、さらにはおびただしい惨劇と容赦のない殺戮(さつりく)をもたらす罪悪史となってしまったのか、その歴史の真実を私たちは大切な教訓として心に刻まなければならないのです。

 それでは、西欧列強が世界各地を植民地支配していった法的根拠とはどのようなものだったのでしょうか。ポルトガルとスペインによる新航路開拓と新大陸発見は世界にはいまだその所有が定まっていない広大な土地があることを西欧世界に知らせることになりました。そして、これらの土地は「無主地(むしゅち)」と呼ばれ、何人の所有にも属さない土地として、その領有権が争われることになるのです。

2025年2月23日日曜日

第40回:大東亜戦争の真実(2)

 大航海時代は経済的利潤を追求する西欧列強による世界征服の始まりであり、アジア諸国に対しては植民地支配の端緒(たんしょ)となったことを、先回お話ししました。それでは、その後の西欧列強によるアジア侵略はどのように推移したのでしょうか。

 ポルトガルとスペインを中心とする新航路開拓や新大陸発見は、やがて経済的利潤を追求する世界征服へと発展し、さらに奴隷貿易による利潤の拡大はその後もますます盛んになります。スペインは南米大陸を支配し、アステカ帝国とインカ帝国を滅亡させると、原住民を奴隷として本国に移送し、巨万の富を獲得しました。また、ポルトガルはアフリカ大陸西岸に進出していましたが、奴隷貿易が巨大な利益につながることに気づき、アフリカ大陸の黒人奴隷を買い漁(あさ)り、ヨーロッパに輸出して甚大な利益を生み出しました。

2025年2月19日水曜日

第39回:日本を新生復活させるための提言(特別編1)

 日本を新生復活させるための提言として、今回はトランプ大統領が2017年5月13日にリバティ大学*)の卒業式で演説された内容の一部をご紹介したいと思います。この演説の内容は、今の日本国民にとっても傾聴に値する大切なメッセージであると思います。では、その演説文の一部をご紹介します。

 人生を歩む中で、物事は必ずしも公正でないことを気づくでしょう。濡れ衣(ぎぬ)を着せられたり、いわれのない扱いを受けることもあるでしょう。それでも、歯を食いしばって戦い続けなければならない。戦え、戦え、戦え。決して、決して、決して諦めてはいけない。屈せず、引き下がらず、自分の正しいと思うことを決してやめてはいけない。この世界で行う価値があることは、すべてそれが正しいことであれば、多くの試練と苦難に遭うものです。

2025年2月16日日曜日

第38回:日本を新生復活させるための提言(7)

 大東亜戦争の敗戦により日本は占領統治下において新たな国家建設を目指し、新生国家を支える「隅のかしら石」を日本国憲法の三大原則に求めました。その後、80年の歳月を積み重ねつつ、新生日本は戦前とは全く異なる民主主義国家として発展し、殊(こと)に経済的復興は目覚ましく、日本は世界の経済大国としての地位を確立しました。

 また、三大原則の一つである「平和主義」は日本を唯一の同盟国である米国の庇護(ひご)の下に置き、「平和はタダ」であるかのような錯覚を日本国民に抱かせ、日本人は総じて「平和ボケ」と言われる悲哀の中で、つぎはぎ細工であるかのような平和を享受してきたのです。

2025年2月9日日曜日

第37回:日本を新生復活させるための提言(6)

 今から80年前、日本は大東亜戦争に敗戦することで、それまでとは全く異なる国家へと変貌してしまい、その時から新しくつくり変えられた日本の歩みが始まりました。学校教育ではそれまで使われていた教科書が黒く塗りつぶされ、戦前においては何よりも大切なこととして教えられてきたことは危険思想として排斥され、子供たちが知ってはならないものとされました。また、大人たちはそれらの教えに蓋をして、まるでなかったことであるかのように忘れ去ろうとしました。それは、まさに国難でした。日本は歴史上に一度たりともなかった異国による占領統治により、国家と国民の在り方を根底からつくり変えられてしまう革命的出来事を経験させられたのです。

 およそ2600年の歴史を誇る世界最古の国である我が国日本は、歴史上初めて外国により占領統治され、GHQ(連合国最高司令官総司令部)による占領政策により新しい国づくりに邁進させられることになりました。日本は根こそぎ変質させられてしまったのです。そのような新日本建設に批判を加えることは許されず、決して抗(あらが)うことのできない占領統治の暗雲が日本国中を覆っていたのです。そのような中で新しい日本は産声を上げることになりました。

2025年2月2日日曜日

第36回:日本を新生復活させるための提言(5)

  天照大神は皇孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降臨される際に、三大神勅を授けられましたが、今回は三つ目の神勅である「斎庭(ゆにわ)の稲穂(いなほ)の神勅」についてお話ししたいと思います。

 『日本書紀』には次のように記されています。

「吾(あ)が高天原(たかまのはら)に所御(きこしめ)す斎庭の穂(いなほ)を以(も)て、亦(また)吾(あ)が児(みこ)に御(まか)せまつるべし。」

2025年1月29日水曜日

第35回:日本を新生復活させるための提言(4)

  『日本書紀』によれば、天照大神は皇孫である瓊瓊杵尊(みみぎのみこと)を豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)に降臨させた、いわゆる「天孫降臨」において、三つの神勅(しんちょく)を授けられました。その一つである「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」については、すでに紹介させていただきましたので、今回は二つ目の神勅、「宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅」についてお話ししてみたいと思います。

 『日本書紀』には次のように記されています。

「吾(あ)が児(みこ)、此の宝鏡(たからかがみ)を視(み)まさむこと、当(まさ)に吾(あれ)を視るがごとくすべし。与(とも)に床(みゆか)を同くし殿(みあから)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いはひのかがみ)となすべし。」

2025年1月26日日曜日

第34回:大東亜戦争の真実(1)

 大東亜戦争の真実とは何なのか、戦後80年の節目を迎える今、何よりも日本人が知らなければならない歴史の真実をこれから探求してみたいと思います。そして、戦後80年の呪縛から解放され、歴史の真実に出会うことで自由になる喜びを一人一人に感じていただきたいと願っています。

 戦後の日本人は虚偽と捏造の歴史教育により、余りにも理不尽な重荷を背負わされ、祖国に対する誇りも日本人としての自信も失ってきたように思います。いつになれば、私たち日本人は歴史の真実を取り戻すことができるのでしょうか。それは、今しかないと思います。日本人が自信と誇りを失い、日本の暗闇を言い表す「失われた30年」という言葉が流布(るふ)していますが、失われたのは30年ではなく、戦後80年のすべてなのかもしれないのです。

2025年1月19日日曜日

第33回:大東亜戦争の真実に辿り着くために

 大東亜戦争終戦80年の節目を迎えた今年、大東亜戦争とはいかなる戦争であったのか、私たち日本人はその真実を知らなければなりません。

 戦後、日本人は大東亜戦争の真相に真摯に向き合い、その真実を探求してきたでしょうか。GHQによる占領支配と極東国際軍事裁判(東京裁判)により、戦後の日本人は大東亜戦争が侵略戦争であり、間違った戦争であったと、単純に思い込んできました。そして、戦後の歴史教育では東京裁判史観に基づく歴史観だけが正しいものとされ、一面的で一方的な戦争論だけがひとり歩きしてきました。日本はアジア諸国を植民地化するための侵略戦争を国策として遂行し、その結果、おびただしい戦争犠牲者を生み出し、アジア諸国に甚大な被害をもたらしたのであり、先の大戦の反省と謝罪によってのみ日本は戦後の国際社会で生存することが許されていると信じられてきたのです。

2025年1月12日日曜日

第32回:日本を新生復活させるための提言(3)

 日本は建国された国ではなく、肇国(ちょうこく)された国であるということを前回お話ししましたが、今回は「肇国の精神」とは、どのようなものなのか、その内容について書き記してみようと思います。

 『日本書紀』によれば、肇国とは天照大神が皇孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)に降臨させたこと、つまり、「天孫降臨」のことを指していますが、この肇国の時に、天照大神は瓊瓊杵尊に三つの神勅(しんちょく:神が語られる言葉)を授けられ、豊葦原の瑞穂国を治めるように命じておられるのです。

2025年1月5日日曜日

第31回:日本を新生復活させるための提言(2)

 日本を新生復活させるためには、何が必要なのでしょうか。そして、今を生きる私たち日本人は何をしなければならないのでしょうか。今回は、日本を新生復活させるために何よりも大切なことの一つとして、「肇国(ちょうこく)の精神」について書き記してみたいと思います。

 「肇国」という言葉を聞いたことがありますか。大東亜戦争中の日本において文部省から発行されていた「高等科国史」の教科書は、「肇国」という単元から始まっています。「肇」は、「肇(はじ)める、肇(はじ)め」という意味で、「肇国」とは「国をひらきはじめる」という意味になります。

2025年1月1日水曜日

第30回:日本を新生復活させるための提言(1)

 2025年は大東亜戦争終戦80年の節目の年であるだけでなく、昭和100年、日露戦争戦勝120年の年でもあり、世界史的に見ても歴史の大転換期を迎えていると思います。その象徴的な出来事の一つが、1月20日に行われる米国大統領就任式なのです。トランプ大統領の就任は、混沌と紛争の中にある世界が新しくされるための一大慶事でもあるのです。だからこそ、トランプ大統領は2024年12月31日の演説で、「世界全体に光が差している」と語られたのです。

 しかし、残念なことに多くの人々はこの希望の光を認めることができず、あたかも盲人であるかのように目を塞がれてしまっているのです。暗闇の中をさまよう世界中の人々が、神の摂理の瞬間に眼(まなこ)を開き、天から聞こえてくる喜びの知らせに耳をそばだてることができたならと、願ってやみません。